永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

「人生には一生勉強が必要だ」、と言う意見が多い。が、

この勉強の意味を考えてみる。

勉強とは学ぶ事を意味する。


具体的には

「本を読む。」

「大学などの教育機関に通って教育を受ける。」

「学会などに出席して、最先端の報告を聞いて学ぶ。」

「インターネットを利用して学ぶ」

などなど学ぶ機会や、方法は無限大にある。


一方で、これまで学んだ知識を駆使し、一歩先へ進め、

従来不可能だった事を可能にする新たな進歩を成し遂げる過程の事を「研究」と言う。


世界的な研究を成し遂げた研究者の論文を書いた時期は、

医学分野では、ほとんどが30代の時期に成し遂げられている。


大学や医学会での目的は、進歩を行う事と、進歩を遂げた研究報告や、

最先端のすでに確立した技術を、若い医師に教育する事にある。


日本の大学の最高の地位にある60代にもなった人物が、

最近の進歩した世界的な分野を知る目的で欧米の海外の学会へ出席したり、

50代を超えても、

未だに海外へ留学を繰り返し学び続けている人々をしばしば見かける。

これらの人は「一生勉強「し続けている人々だ。


つまり、このような発想の人達は、

誰かが研究開発した他人、すなわち「研究者」の知識を

延々と学び続けるだけで一生が終了してしまう。

ある意味、研究者としては、人生の時間切れとなっているとも言える。


「学ぶ人」と、「研究者」が、どう異なるかと言うと、

「研究者」は、30代で、すでに研究開発を終了し、

その後は、その開発事項をさらに上回る報告が出ない限り

永遠と世界を教育し続ける立場となる。


そういう意味で、「研究者」と、「学び続ける人)との関係は、

「教育者」と「受講生」との関係となる。


言い換えると、一生学び続ける人は、

一生受講生の立場で、教育者にはなれない立場という事になる。


分野ごとに、世界中の知識を学びつくした後は、ある時点で

それを上回る、新技術や新たな分野を研究開発し、

世界へ報告するような方向転換が重要だ。


そのある時点が30代なのだ。

30代を超えてしまった場合、

自分が研究者としては、向いていなかったと判断する事も必要だろう。


そういう意味で30代は、研究者になれるがどうかの瀬戸際の時期とも言える。



















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