永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

地震の衝撃も大きかったが、そのあとの計画停電の衝撃も大きかった。
スーパーでは、まだヨーグルトは不足しているが、
お米も牛乳も手に入るようになって来た。

クリニックでは、すべてが計画停電仕様にシフトされ、
順調に業務が遂行されている。

地震からそろそろ2週間経ったけど、
人間の適応力って、すごい。
と思う。

思えば、自家発電気。
開業してから5年以上経つが、
毎月毎月定期点検をしているのに、一度も使った事がない。

お金はかかるし、機械はじゃまだし・・・。
こんなもの無用の長物ではないか。
「ねえ、これ、本当に必要なの?」と院長に言って、
実はもうボツにしようと思っていた。
ところが院長は、
「停電したらどがんすっとか!手術ができんごとなっと」と
取り合ってくれない。

あげくに今年に入ってからモーターがイカレてしまい、
新しいモーターに取り替えろと業者が言う。
オイルも古くなってるから、
それも交換だと言う。

「え~~~!?」

でも院長は修理しろという。

で、修理を依頼し、新しいモーターを入れ、機械の総点検。
修理は無事完了し、
まだ、支払いも終わっていない時のあの大地震。

おかげで計画停電があっても、
無事に手術が続けられる。

よく、看護師のI さんが、
「院長は悪運がついているから」というけれど、
まったくそのとおりかも、
とつくづく思っているこのごろです。


 
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耳垂残存型小耳症の術前。
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耳があるべき場所を赤で示す。
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手術デザインの完成。
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作成した永田法の3次元肋軟骨フレーム。
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永田法の皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植したところ。


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2010年9月7日、小耳症の術前。
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耳があるべき場所を赤で示す。
耳の上3分の1は髪の毛が生えており、いわゆるローヘアーラインを伴う小耳症。
耳たぶは、はるか前方に存在する。
浅側頭郷脈の血管は異常に前を走っている。
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手術デザインの完成。
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作成した3次元肋軟骨フレーム。
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頭から薄い皮膚を採取した後耳があるべき場所の毛根部を切除した。
頭から血管膜を起こした。
P1020590.jpg3次元肋軟骨フレームを耳があるべき場所に移植。
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3次元肋軟骨フレームを血管膜で被覆した。
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血管膜の上に頭から採取していた薄い皮膚を移植した。
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そして、2011年3月29日耳立て手術の日を迎えた。
髪の毛が生えない耳が再建されている。
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耳立て手術のデザイン。
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頭から2枚目の血管膜を起こした。
耳を後ろから支えて立てるため移植する肋軟骨ブロックを作成した。
側頭部から薄い皮膚を採取した。
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耳が立っている。

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耳が立っている。
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手術終了時。
耳の腫れは入院中に引く。
本日は午前中、小耳症の患者さんが無事退院となった。

また、明日の小耳手術予定の患者さんが入院となった。

その後、入院中の小耳症の患者さんたちの包帯交換を行った。

抜糸の時期の患者さんが多く時間を要した。


午後からは小耳症の外来時間となった。

春休みなので外来が込んできた。

小耳症で再診の患者さんたちを数名診察後

来週小耳症手術予定の患者さんたち3名の全身麻酔用の術前検査を行った。

その後、小耳症で初診の患者さんが来院されたので

2時間ほどかけて手術法の詳しい説明を行った。

更に小耳症で再診の患者さんを数名診察し本日の外来が終了した。

美しい天女が舞っている。

視線は釘付けとなる。


視線をそらす事など

決して不可能だ。

美しさは感動を呼ぶからだ。


現実なのに、

信じられないほど、

まるで、夢か幻か、

いや、これこそファンタジー。


この奇跡の時を

300年も待ち続けて来たようだ。





東北関東大地震はマグニチュード9.0という途方もない大地震だった。

震度7の地域でも、日本の優秀な住宅は、かなり耐え抜いていたが

更にその後襲ってきた大津波により、

世界的な堤防すらも破壊され、ついに東北太平洋沿岸は広範囲に町全体が崩壊した。


多くの死者と行方不明者は、現在把握しているだけでも3万人近くとなっている。

町は瓦礫と化し、呆然と立ちすくむしかない状態となった。


肉親を亡くされた多くの方にとって、その悲しみの深さは計り知れないものがある。

一家全員が亡くなられた家族も非常に多い。


その後、福島県の原子力発電所も津波による災害で広範囲な放射能汚染を引き起こしている。


このような悲惨な大災害から、1950年長崎生まれの私には

かつての日本の悲惨なイメージを思い起こさせる。


1945年8月9日長崎では原子爆弾が炸裂し

瞬時にして10万人近くの人々が命を絶った。

町は瓦礫と化し、生き残った人々も放射能障害を引き起こし

次々と亡くなっていった。

その悲しみは深く、多くの人が地面をたたき涙したのだった。

絶望を希望に変えるまで長い長い年月を要した。

そして、長崎は見事な復興を遂げたのだった。


大地震という自然の猛威の前に、人間は、なすすべを知らない。

しかし、原子爆弾という人為的な殺人兵器の猛威にも同様だったのだ。


想像を絶する大災害が、今後又いつ襲ってくるかわからない。

あまりの惨状に感情のコントロールが不可能となり、脳は一時的に思考を停止する。

その後、時間とともに深い悲しみが繰り返し襲ってくる。

そして、泣きつくし涙が涸れた時から、復興復活への第一歩が始まる。

一歩を歩み始めた時から初めて希望が湧いてくる。


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耳珠が存在するタイプの小耳症の術前。2010年9月2日。
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耳が存在すべき場所を赤で示す。
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手術デザインの完成。
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新たに作成した永田法の3次元肋軟骨フレーム。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを移植したところ。
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そして本日2011年3月25日の耳立て手術の日を迎えた。
再建された耳を示す。
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耳立て手術のデザインを示す。
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側頭部から薄い皮膚を採取した後、血管膜を起こした。
耳の後ろから耳を支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
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手術直後の状態。耳が立っている。
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耳が立っている。
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手術終了時の側面像を示す。
耳の腫れは入院中に引く。
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2010年8月26日、耳垂残存型小耳症の術前。
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耳があるべき場所を赤で示す。
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手術デザインの完成。
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肋軟骨4本を採取して6個のパーツを作成し
ワイヤーで組み合わせて彫刻をして作成した永田式3次元肋軟骨フレーム。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植した。
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そして2011年3月24日、耳立て手術の日を迎えた。
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耳立て手術のデザインを示す。
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側頭部から薄い皮膚を採取した。
頭から血管膜を起こした。
耳の後ろに移植して耳を支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
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手術終了時の側面像。
耳の腫れは入院中に引く。
本日は小耳症で入院していた患者さんが無事退院となった。

また、明日の手術予定の小耳症の患者さんが入院となった。

その後、入院中の小耳症の患者さん達の包帯交換を行った。


午後からは、小耳症初診の患者さんが来院されたので

手術法の詳しい説明を行った。


本日は午後4時から7時までの3時間は計画停電となった。

通常、手術室には自家発電装置が機能するために手術遂行には全く問題はないが、

地震後の計画停電が始まった先週以降、

計画停電中はエレベーターがストップしたり、病室のライトが消えたりするという弊害がある。

当院では、通常業務を遂行するために、手術時間を1時間通常よりも早めている。


このために職員の勤務体制も、全員がシフトしており

事務長は、明日あさって共に早朝からの病室勤務となっているために

遠い自宅から早朝の通勤が大変なため、

病室での泊り込み勤務となっている。




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2010年6月11日。耳垂残存型小耳症の術前。
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耳が存在すべき場所を赤で示す。
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手術デザインの完成。
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肋軟骨を4本採取して6個のパーツを作りワイヤーで組み合わせて彫刻し
永田法の3次元肋軟骨フレームを作成した。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植したところ。
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そして2011年3月22日の耳立て手術の日を迎えた。
再建された耳介を示す。
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耳立て手術のデザインを示す。
P1030215.jpg
側頭部から薄い皮膚を採取した。
頭から血管膜を起こした。
耳の後ろから耳を支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
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手術終了時の全体像。
久しぶりの休日。
近くのスーパーへ買い物に行った。

横浜にいる息子が、
「心配たまらん」と様子を見に帰ってきたので、
我が家にはおじさんが3人そろった。
(3人の息子のことだが)
なんだか家中に布団が敷いてある。

家にいる時は母親の私。
「食べさせなければ!!!」の本能が私を駆り立てる。

しかし、スーパーの棚の上はみごとにからっぽ。
お米もラーメンもお菓子も、ない!
自転車をクリクリこいで、スーパーのはしごだ。

とりあえず
お一人様1点かぎりのお米と牛乳を確保して、一安心。

買占めの心境って、とどのつまりは本能のなせる業なのかも・・・。

クリニックでも、
いま、トイレットペーパーが残り少なくなっている。
しかし、
給食の配達はとどこおりなく配達されているので、ありがたいことだ。
ただ牛乳がないと言う事で、しばらくはパンではなく主食はご飯の朝食だ。

停電中でも、子供達はなぜか楽しそうで、
非常灯が思ったより明るいので、わいわいやっていた。
3時間経てば、また、電気が復活するのがわかっているのである。

計画停電が始まって、1週間経つが、
結局実際に電気が止まったのは2回だけだった。

みんなで気を付けて節電すれば、この程度の停電で済むのかも。
節電、頑張らねば。 
東北関東大地震から9日目となった本日も

まだ日本各地に余震が起こっている。

関東地方では、計画停電という事態が継続している。

休日こそ、かろうじて停電はないものの

通常の日は、首都圏の全電力をまかなえない。

このような停電が日本に起こるなどとは考えても見なかった事だ。


永田小耳症形成外科クリニックでは、幸いにも

計画停電があっても通常業務が滞ることなく行えるよう

手術室への自家発電装置が機能している。

また手術開始時刻を早めたりと、職員の協力があってこそ

通常業務が成り立っている。


以上の要素の積み重ねにより、このブログに示すように

手術も通常通り遂行されている。





1週間前、マグニチュード9.0の大地震、

および10メートルを超える大津波。

想像を絶する千年に1度、日本史上初とも言える大災害が発生した。

1週間経過した今ですら、信じられない出来事だ。


人生には、いろいろ乗り越えなければならない事が次々と起こってくるものだが

千年に1度の大災害に、

自分が生きている間にまさか遭遇するなどとは

誰も思っていなかった事だろう。


逆に千年に1度の大災害がおきてしまったのだから、

確率的に、もはやこのような事態には遭遇しないだろうなどと

油断する事は出来ない。


ただ、これまでの歴史の中で、

日本は、どのような大災害に出会っても

不死鳥のように奇跡的な復活を繰り返して強くなって来た国だ。


そう、今、

復活への道を又歩み始めている。

明日へ向かって前進する事で

この国が、さらに輝く国へと変貌する夢と希望が湧いて来る。


夢と希望が復活への原動力となる。


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耳垂残存型小耳症の術前。
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耳が存在すべき場所を赤で示す。
耳たぶが通常簿小耳症よりもはるかに下にあり、さらに前傾している。
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手術デザインの完成。
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肋軟骨4本を採取して、6個のパーツを作り、
それらをワイヤーで組み合わせて彫刻して
作成した永田法の3次元肋軟骨フレーム。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植したところ。
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2010年8月31日、耳垂残存型小耳症の術前。
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耳があるべき場所を赤で示す。
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手術デザイン。
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永田法の3次元肋軟骨フレームを作成。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植。
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そして2011年3月17日の耳立て手術の日を迎えた。
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耳立て手術のデザイン。
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頭から薄い皮膚を採取した後血管膜を起こした。
耳の後ろから耳を支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
耳の腫れは入院中に引く。
地震がおきてから、そろそろ1週間。
毎日の生活では、いろいろ以前とは違って不便なことが続いている。

まず、電車が時間どおりこないので、スタッフがクリニックへ来るのもひと苦労だ。
ずっとお泊りの院長だけは余裕のよっちゃん。
電車の遅れや、ギュウぎゅう詰めは、テレビの中だけのことだ。

師長さんは急遽ナースの勤務表を作り直し、
「緊急事態ですから・・・」と顔もきりりとして、頼もしい限りだ。

地震がおきてから初めての手術日は、
今週の火曜日であったが、
事前に、
○先生や麻酔のU先生から何度も連絡が入り、
みごと朝9じから、すべてのスタッフがそろって、
いつもどおりの時間に手術が始まった。

私は元旦に痛めた足が再び悪化したので、
無理しないようにクリニックでお泊りを繰り返している。
毎晩空いた部屋を探して、クッションかかえてさまよっているが、
災害にあわれた方たちのことを考えると、
ぐちなんかこぼしてはいられない。

子供たちも地震の当日だけは、
女の子はけろりとしていたが、
泣いたり地震酔いになったりした男の子もいた。

しかし、
夜は付き添いのおとうさんやお母さんが、
電車が止まってしまったので、帰れなくなり、
急遽、臨時でお泊りになったので、
夜はみな、のびのびとして、落ち着いていた。

子供たちも、親御さんも、ナースも、
それが一番安心なことだった。

今は入院中の子供たちは、いつもと変らずのびのびすごしている。
お母さんたちは、いつ来るか、わからないバスや電車に乗って、
毎日付き添いに通ってこられる。

親の力に、尊敬!


本日は、小耳症で入院していた患者さんが無事退院となった。

その後、明日手術予定の小耳症の患者さんが入院となった。

午前中に、入院中の小耳症の患者さん達の包帯交換を行った。


更に海外の形成外科医からのメールの連絡に対する返事や

海外からの小耳症患者さんからのメールに対する返事を行った。


午後からは、小耳症で再診の患者さんを診察した後

小耳症で初診の患者さんが来院されたので

手術法などの説明を1時間ほどかけて行った。


現在関東地方では電車が動いているものの

通常よりも少ない本数となっているために

職員の通勤が大変になっているが、

通常業務を全く支障なく円滑に進めることが出来ているのは

園長先生や婦長をはじめとした当院職員や麻酔科の先生かたがたの

並々ならぬ協力のおかげである。


明日の勤務予定の引継ぎをスムーズにするために

事務長をはじめとして本日は泊り込む事になっている。

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2011年3月15日。

東北大地震に見舞われ、福島原子力発電所が爆発した本日

永田小耳症形成外科クリニックには、台湾のチャングン大学病院の形成外科医

Ying-an-Chen女医が小耳症の手術見学に来院した「写真向かって右前」。


チャングン大学には、以前に小耳症手術法の永田法を学びに

留学してきていたZung-Chan-Chen医師がいて、

現在は台湾の小耳症手術を最も多く行っている医師だ。

その医師の元で勤務している女医さんが本日小耳症手術見学に来院した。


チャングン大学病院は1万ベット有し、

アジアでは最大級の医療レベルが高い病院でもある。

東大病院が1千ベットなのでその規模は10倍以上となっている。


2週間ほど前にZung-Chan-Chen医師から電話があり

今回の女医さんが見学に来るのでよろしくと頼まれていた。


国際的な教育にも常に忙しい永田小耳症形成外科クリニックとなっている。



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2010年8月24日、術前。
関東地方の某大学病院で組織拡張法による手術を受けたものの不幸な結果となり
作り直しを求めて当院へ入院となった。
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本来耳が存在すべき場所を赤で示す。
本来耳があるべき場所には髪の毛が生えているロ-ヘアーラインの症例。
再建された耳の場所が前傾しすぎている。
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手術デザインの完成。
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耳の後ろには足の付け根の部分から採取した色が異なる皮膚が移植されており、
その皮膚から陰毛が生えている。
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左は摘出した肋軟骨フレーム。
中央は、新たに作成した永田式の肋軟骨フレーム。
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使用できる耳の表の皮弁を残し
耳の後ろに移植されていた色が異なる皮膚とともに
髪の毛が生えていた頭の皮膚までを切除した。
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新たに作成した永田式の3次元肋軟骨を皮弁の下に移植しなおした。
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そして、2011年3月15日、耳立て手術の日を迎えた。
正しい場所に作り直した耳。
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耳立て手術のデザインを示す。
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頭から血管膜を起こした。
耳の後ろから耳を支えて立てるための半月曜肋軟骨ブロックを作成した。
立てた耳の後ろに移植する皮膚は耳と同じ色とならなければならないので
側頭部から薄い皮膚を採取した。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
耳の後ろに移植した皮膚の色は耳と同じ色になり、
耳の後ろから髪の毛が生える事はない。
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耳の側面全体像。
側頭部から薄い皮膚を採取した部分は、かすり傷程度に浅いので
入院中に治り、髪の毛が生える。
本日は午前中、

入院中の小耳症の患者さんたちの包帯交換を行った。


午後からは、

来週および再来週に手術予定の小耳症の患者さん達5名の

全身麻酔用の術前検査を行った。


東北大地震の影響を受け関東地方では、電力の送電力が不足している。

そのために鉄道が通常の2割程度しか運転されておらず

当院の看護士さん達も苦労して到着した。

史上まれに見るマグニチュード9.0の地震が日本を襲った。

翌々日となった今日、次第にその全貌が見えてきつつある。

読売新聞の特別夕刊によると、

数万人が安否確認できていないという。


壊滅的な被害を受けた東北地方の沿岸部では、連絡すらつかない状態のようだ。

・宮城県南三陸町の町民の約1万人が行方不明。

・岩手県大堤?町では町長を含め、1万人の所在が不明。

・宮城県女川町、岩手県陸前高田市および遠野市、住田町、岩泉町、九戸村の8万6千人で

 安否確認が出来ていない。

・岩手県の山田町で、1万9千人が行方不明。

・福島県で1167名が行方不明。


現在判明いるだけで以上となっているのだから

今後も更に、判明してくる可能性が高い。


世界最大級の地震となってしまった。

一刻も早く多くの人達が救出されることを祈る。

昨日の大地震の翌日とあって、

さすがに外来の患者さんは少なかったが、

それでも小耳症再来の患者さんが来院された。

その後入院中の小耳症の患者さん達の包帯交換を行った。


前代未聞の昨日の日本の大地震のニュースは、世界中に報道されてたせいで、

本日は、インド、台湾、の形成外科医から

「大丈夫だったか?」と心配する

電話がかかった。


また、アメリカの耳鼻科医からは、

「必要なことがあるならば出来ることは何でもするから知らせてくれ」と

メールをいただいた。


世界中の形成外科医や耳鼻科医達が、

当院のことを心配してくれている。


今日は大地震!

地震が起こった時は、

手術中。。。

しかし、

みんなプロである。

それぞれの仕事を黙々とこなした。

そして、無事終了!


しかし、首都圏の交通網はまったく機能しておらず、

みんな帰れない。。。

でも、、、

僕はどうしても帰らないといけないので、

事務長がママチャリを貸してくれた!

埼玉は戸田公園から、

東京は品川・・・

いったいどれだけの距離なんだろうか?

そして、、、GO!!!

約2時間かかったが無事到着。。。


しかし・・・

帰る途中、

地震難民とでもいいましょうか、

都内からものすごい数の人が歩いて帰っていた。。。


いや~~~

疲れたけど、

これもフルマラソンのおかげか?

なんとか無事に到着しました。。。

ご安心を!





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2010年8月17日、耳垂残存型小耳症術前。
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耳が存在すべき場所を赤で示す。
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手術のデザインを示す。
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作成した3次元肋軟骨フレーム。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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皮下ポケットに3次元肋軟骨フレームを移植した。
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そして。2011年3月11日耳立て手術の日を迎えた。
再建された耳。
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耳立て手術のデザインを示す。
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側頭部から薄い皮膚を採取し、血管膜を起こした。
耳を後ろから支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
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耳が立っている。側面全体像。耳の腫れは入院中に引く。

手術中の午後2時過ぎから地震がおきて、大きな揺れが長時間続いた。
震源地は、マグニチュード8.8の東北地方ではマグニチュード7、
茨城県でもマグニチュード7という観測史上最大の地震。

何度となく大きく揺れる中で、縫合を継続し、夕方5時半にようやく手術が無事終了した。
手術中手洗いをしていた看護婦さんは、一時気持ち悪くなったが何とか持ち直した。

園長先生は、20キロもの距離を「自転車で帰宅する。」と言う。
無事帰宅できることを祈る。
麻酔の先生は、電車も動かないしタクシーも
ほとんど捕まえることは出来ないはずなのに、帰っていった。

電車が動かないので職員は帰宅できない人もいる。
婦長と、事務長は、個室に泊まる事となった。


とにかく、長い長い数回にも及ぶ地震を無事乗り越えることが出来た。
が、さすがにエレベーターが止まってしまった。

エレベーターが動かなくなったので
夜11時から12時にかけて患者さんの麻酔がしっかり覚めてから
2階の病室へ歩いて階段を上ってもらう事となった。

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2010年8月13日、小耳症の術前。
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耳があるべき場所を赤で示す。
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手術のデザイン。
P1020489.jpg
肋軟骨を採取して、作成した3次元肋軟骨フレーム。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
P1020492.jpg
3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植したところ。
P1030170.jpg
そして2011年3月10日の耳立て手術の日を迎えた。
再建された耳。
P1030171.jpg
耳立て手術のデザインを示す。
P1030172.jpg
側頭部から薄い皮膚を採取した。
耳の後ろを頭からはがし、耳と側頭部の間に
耳を支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
立てた耳の後ろから生きた組織で被覆し移植肋軟骨ブロックを生かし
耳の後ろの決行を増強するために
頭から血管膜を起こした。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
耳の腫れは入院中に引く。
本日は午前中入院中の小耳症の患者さんたちの包帯交換を行った。

みな順調な経過をたどっている。

また、明日の小耳症手術予定の患者さんが入院された。

その後、海外からの形成外科医からのメールの返事に時間を要した。


お昼直前には、ゆっくりとした横揺れの地震がおきた。

長周期型の地震なので、関東地方では震度3であっても

都庁の高層ビルのエレベーターが停止した。

震源地は東北三陸沖を震源とした地震だった。


午後からは、再診の小耳症患者さんの診察を行った。

外来終了後は診断書などの書類の書き込みなどを行った。

明日は耳立て手術が予定されている。

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2010年8月12日術前の状態。
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耳があるべき場所を赤で示す。
耳の上3分の1に髪の毛が生えているローヘアーラインを伴う小耳症。
P1020479.jpg
作成した。3次元肋軟骨フレーム。
P1020480.jpg
頭から薄い皮膚を採取した。
その後、耳があるべき場所の毛根部を切除した。
頭から血管膜を起こした。
P1020481.jpg
耳があるべき場所に3次元禄軟骨フレームを移植した。
P1020482.jpg
3次元肋軟骨フレームを生かすために血管膜で被覆した。
P1020483.jpg
血管膜の上に頭から採取していた皮膚を移植した。
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そして2011年3月8日の耳立て手術の日を迎えた。
髪の毛が生えない耳が再建されている。
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耳立て手術のデザイン。
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頭から2枚目の血管膜を起こした。
耳の後ろから耳を支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
側頭部から薄い皮膚を採取した。
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耳が立っている。
耳の腫れは入院中に引く。
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耳が立っている。
人との関係において

実力以上にやる気を起こさせてくれるような人と

全くやる気を無くさせる人とがいる。


自分にとっては、安らぎを与えてくれて

やる気を起こさせてくれる

ファンタジーな人を求めるに決まっている。






朝目が覚めて、とりあえず新聞とシュガートーストで、朝ご飯。
せっかくの日曜日、朝から出かけていくのも、億劫だったけど、
今日行かないと、また見そびれてしまうから、
行って来ました。

「英国王のスピーチ」

チケット買って、まだしばらく時間があるので、
何か少しお腹にいれとこうと思ったけれど、
きちんとお店に入って食べるには、まだ早い。

ぶらぶら歩きながらプランタンの中を歩き回っていたら、
スケスケや、ヒラヒラの衣装があっちやこっちにぶら下がって
お店の中はもうすっかり春だった。
しかし日曜日のプランタン、何でこんなに人が多いんだ。
と言う私も、そのうちの一人。

結局スーパーでおにぎり1ヶと小さなサラダを買い、
デザートに小さな草もちも買って、
あたりのベンチで池波正太郎の旅行記読んでるなんて、
なんて幸せな日曜日だ。

おまけにこれから映画だぞ。

さすがに賞を取っただけあって、
いつもと違って、映画館の中も人がいっぱい。

その映画の内容はと言えば、
「さあこい、さあこい、感動するぞ」と待ち構えていたためか、
それとも飲んでいた花粉症の薬のせいなのか、
いつのまにか眠ってしまい、
目が覚めたら、あっというまにラストシーンになってしまい、
なんだか納得がいかない日曜日であった。







日本ではマラソン熱が高い。

当院の園長先生も、今年の湘南フルマラソンを完走した。


先週は東京マラソンで、素人とも言える市民マラソンランナーが

なんと2時間8分台半ばをたたき出して世間をあっといわせた。


本日は琵琶湖マラソンがあったが、

日本人トップの実業団選手は2時間9分台半ばっだった。


数十年前には中山選手がすでに、8分台で走っていて、

当時の日本男子のマラソンレベルは世界的に高かったが

それ以降は、あまり時間短縮できていなかった。

一方で、世界レベルは2時間4分台までにレベルアップしている。


残念ながら現在男子の世界的なマラソン大会で

日本選手はメダル圏外レベルとなってしまった、が、


常に練習の機会に恵まれている実業団選手を上回った

市民ランナーの新たなる出現は、

常識を超えていて、大いに期待できる。


市民ランナーよ、

更なる奮起を!