永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

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典型的な耳垂残存型小耳症術前の状態。
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耳が存在すべき場所を、赤で示す。
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手術のデザインが完成したところ。
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左は、新たに作成した3次元肋軟骨ブロックを示す。
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形成した皮弁および皮下ポケットを示す。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植して皮弁を移動して、縫合したところ。
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フラッシュをたいて写したところ。
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術前の状態。耳が、お辞儀をするように前に曲がっている。
お辞儀している耳を上に向けても、完全な耳とはならない。
すなわち、耳の皮膚の表面積も不足する。
いろいろな呼び名で呼ばれているが、
軽度の小耳症とみなすべき状態。
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手術デザインを示す。
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手術デザインを示す。
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皮弁を起こした状態。
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左は新たに作成した肋軟骨フレーム。
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耳上3分の1の皮弁の剥離を行い耳介軟骨を分離したところ。
これで、ちじんでいた耳介軟骨が開放されて広がった。
耳介軟骨がわずかに観察される。
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広げた耳介軟骨の支持力は弱いので、補強するために、
耳介軟骨の後ろ側に、肋軟骨フレームを移植し、固定することで、形態補強を行った。
真っ白に見えるのが肋軟骨フレーム。
その直前に見えるのが固定矯正された耳介軟骨。
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別の角度から見た所。
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皮膚弁を上にずらして縫合した。P1000967.jpg
耳の後ろから見た縫合線。
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耳輪が無い状態。第3脚があるので、軽い程度のスタール耳とも言える状態。
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切除する範囲を示す。
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手術デザインを示す。
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手術後の状態。余分な脚である第3脚が消失し、耳輪が形成されている。
本日、小耳症患者さんが無事退院となった。

次回の手術予約をおとりになってお帰りとなった。

午前中に、入院患者さん達の包帯交換を行った。

午後からは

来週手術予定の小耳症患者さんたちの術前検査を行った。

そのほか経過観察中の患者さんの診察を行った。

夜中静かな医局でいろいろな連想をする。


食べたいものは?

くらげの酢の物、もずく酢を、前菜に

サザエのつぼ焼き、ホタテ焼き、うなぎの蒲焼、鮎の塩焼き、野菜天ぷら、をおかずに

納豆の細巻き、かんぴょうの細巻き、梅しそ巻き、をご飯の代わりにして、

赤味噌の味噌汁を飲む。


なーンて考えている。

日本人だなー。


ただし、その後は、おいしーーーコーヒー飲んで

アイスクリーム入りアンミツ豆を食べる。


なーンて、幸せ。


ささやかすぎかしら?


お酒は飲まない。


そんなささやかな空想物語でした。

おーっと、老化防止にビタミン剤も、飲んどかなくちゃー。


本日は、小耳症の患者さんが無事退院となった。

数名の小耳症経過観察中の患者さんたちを外来で診察し

午前中に入院患者さんたちの包帯交換を行った。


午後からは、

小耳症患者さんや

外傷耳欠損で来られた新患の患者さんの診察を行った。

時間をかけて耳の作り方を説明し、予約を取ってお帰りになった。


診断書や紹介医師への返事など、書類を書き終えると

気がつけば、もう夕方4時となっていた。



ようやく週1日のお休みとなる。
今日も耳の再建手術だった。

本日は、園長先生が、大阪に出張したために

本日の耳再建手術の写真掲載は、来週の火曜日になります。

本日も7時間15分の手術時間を要した。

麻酔時間は9時間15分だった。
昨夜手術後に、院長はいつも通りブログを書こうとしたのだが、パソコンが、動かない!
悲しい顔で○先生に」助けを求めたが、
「先生、電源切って、しばらく置いといた方がいいですよ」と言われ、
なすすべも無く、言われるままに電源切ってみたのだが、動かない!
「先生、2時間くらい置いといた方がいいですよ」と言いながら、
○先生、あっち向いて携帯で電話かけてる。

院長、手も足も出ず、悲しいまんま、
○先生は携帯に夢中。
院長の助けてオーラは、○先生の携帯バリアーに阻まれて、
院長、捨て猫のように、悲しそう。

一夜空けて、
「業者に電話してくれ!」と言われたので、
電話して、すぐ来てくれる事になった。

でもまてよ、キーひとつ叩いただけで、動き出すなんて、
パソコンではよくあること。

エンターキーをひとつ、叩いてみる。

動き出した。

どうやら昨夜あちこいじりすぎたのだろう。

人生もおなじ。
いじりすぎると、動きがわるくなる。
そういう事って、たしかにある。

とりあえず、復活で、めでたい、めでたい。

○先生、おとしよりには、親切に頼みます。
何だか、コンピューターの調子が悪い。

自分の机のコンピューターが起動しないので、

別の机のコンピューターで、このブログを書いている。


異なるコンピューターは、使い出が悪く非常に疲れる。

明日まで待ってみて調子が戻らなければ

プロを呼んで見て貰おうか、と考えているところです。


コンピューターが機能しないという事が、

日常も困ると言うことになっていようとは

私自身以外だった。
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2008年12月4日特殊な小耳症術前。
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耳があるべき場所を赤で示す。
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デザインを示す。
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作成した3次元肋軟骨フレームを示す。
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皮弁形成し、皮下ポケット作成。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植したところ。
そして2009年6月25日の耳立て手術日を迎えた。
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術前の状態。
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耳立て手術のデザイン。
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頭から血管膜を起こしたところ。
耳の後ろから耳を支えて立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
頭から薄い皮膚を採取した。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
耳の腫れは入院中に引く。
本日は、小耳症患者さんが無事退院となった。

次回手術の予約を決めてお帰りになった。

代わりに、明日小耳症で、手術予定の患者さんが入院となった。

明日の手術は耳立て手術の予定。

午前中に、小耳症で入院中の患者さんたちの包帯交換を行った。



午後からは、小耳症で、初診の患者さんが2家族来院され、

同時に、2時間ほどかけて手術の解説や説明を行った。

予約決めてお帰りになった。

その後は、手術前、後の患者さんたちを診察した。



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耳甲介型小耳症の術前。
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耳が存在すべき場所を赤で示す。
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手術デザイン。
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作成した3次元肋軟骨フレームを示す。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを、皮下ポケットに移植したところ。P1000942.jpg
フラッシュをたいて撮った写真。
しとしとと、一日中、降りしきる雨。

洗濯物が乾かず、じめじめとして、

欧米人には、日本の梅雨の季節がとても、耐えられないと言う。

下手をすると、カビが生えやすくなる季節でもある。

外出するにも、傘が必要で嫌がる人もいる。

しかし今年も梅雨の季節を向かえた。


植物の緑が、雨に濡れ、しっとりと光る。

この雨で日本の美しい自然が保たれている。

稲も育ち、湖も満たされる。

実は、ありがたい梅雨なのだ。


乾燥し、生物や緑の乏しい砂漠地帯と比べれば、

日本の梅雨の、なんとありがたいことか、が、わかると言うものだ。

正に、恵みの生命には潤いの雨なのだ。


地球温暖化が叫ばれているが

何年経過しても、毎年繰り返す、この恵みの梅雨が

日本にいつまでも繰り返し、降り続いてほしいものだ。


おいしい日本の、お米の生育のためにも。

日本のお米大好き人間の私だから。


海外へと、学会で行く度に、日本食を誇りに思う。

この最も中心にあるのが、ご飯。

おいしいご飯の必要条件は、水田を適度に潤す梅雨あってこそなのだ。


そう考えると、梅雨は、日本の誇りでもある。



6月20日土曜日は、外来日だった。

小耳症で手術を行い、入院していた患者さんが無事、退院となった。

その後、数名の小耳症で経過観察中の患者さんを数名診察した。

また、小耳症新患の患者さんが来院され、

説明に2時間近く要した。

手術予約をされてお帰りになった。


午後からは、小耳症入院中の患者さんたちの包帯交換を行った。

更に小耳症経過観察中の患者さんたちの診察を行った。

ようやく外来が終了し、睡魔に襲われて眠ってしまった。

夜中0時過ぎてから今頃になって、このブログを書くことが出来た次第です。
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東京都内のある大学病院形成外科で
去年から今年にかけて、小耳症に対して
複数回の手術を受けたが、このように、不幸な結果となった。

原因は明確だ。
なぜならば、大きな原因は
この手術を行った医師が、いまだにタンザー法の影響から抜け出していないので
耳たぶの表も裏もスイッチバックしてしまっている。
耳たぶを2枚に分割して皮膚の表面積を広げる事が可能な永田法の意味を理解していない。
だから、耳甲介での皮膚の表面積が不足し、このような悲惨な結果となってしまう。
しかも、たまたま存在していた副耳を残して耳珠の代用としているので
中途半端で不完全なものとなっている。
耳甲介は浅い。


患者さんは、この耳に不満で、耳の作り直しを求めて来院された。
耳の上の方では、移植肋軟骨が露出しそうになっている。
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手術のデザインを示す。
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左上が、新たに作成した3次元肋軟骨フレーム。
左下が、移植されていた肋軟骨フレームを摘出した物。
この両者が全く異なる点に注目。
耳幅が30パーセント以上も異なっている。
この点が、耳上方で皮膚の壊死をきたし移植肋軟骨が露出しかけた原因のひとつ。

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以前の手術で、タンザー法と同じ耳たぶの後方移動をされたため、
耳たぶの裏側に良い色の皮膚が残されている。

この部分を耳の中央の皮膚表面積が不足する部分に
生きた皮膚弁として移動し追加して利用する。
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肋軟骨が露出しそうだった耳の上方部分の薄くなった皮膚は切除した。
耳の中央部分は、皮膚が不足する。
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耳の中央部分へ、耳たぶの後ろからの生きた皮膚を移動したところ。
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新たに作成した3次元肋軟骨フレームを、皮膚の下へと移植して縫合が終了した所。
耳の立体的形態が再々建されている。
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フラッシュをたいての写真。
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2008年8月5日。耳垂残存型小耳症の術前。
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耳があるべきところを赤で示す。
前傾耳垂である。
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作成した3次元肋軟骨フレーム。
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皮弁形成および皮下ポケットの作成した状態を示す。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植し皮弁を縫合したところ。

そして、2009年6月18日の、耳立て手術日となった。
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耳立て手術直前。
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耳立て手術のデザイン。
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頭から血管膜を起こしたところ。
耳の後ろから支えにして耳を立てるための肋軟骨ブロックを作成した。
また、頭から薄い皮膚を採取している。
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手術終了時。
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耳が立っている事がわかる。
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耳が立っている。
耳の腫れは入院中に引く。
オペラ発祥の地、イタリアでは

流行歌も、歌い方が情熱的である。

オペラ風の発声をする歌手や、シャウト唱法まで、いずれにしても

相当に響き渡る声量がある歌手が多い。


そんな歌手達が歌う歌のメロディーは、

激しく明るいか、悲しいか、

いずれにしてもスケールが大きい芸術性の高い曲が多い。


オーソレミオ、帰れソレントへ、忘れな草、フニクリフ二クラなど超古典的な歌から

イルモンド、愛は限りなく、ナポリは恋人、愛の別れ、などの

ロマンチックでスケールの大きい歌など

今もイタリアでは、あらゆる歌手によって歌い継がれている。


日本人は、

ダスティー・スプリングフィールドや

プレスリーによる「この胸のときめきを」と言う曲は、英語の歌と思っている方が多いが

実は、イタリアのサンレモ音楽祭で出来た歌であるから

原曲は、イタリア語なのだ。


これら、イタリアの流行歌を大きく総称して、カンツォーネと呼ぶ。

コメ・プリマ、アル・ディ・ラ、愛の歌、アネマ・エ・コーレ、マンマ、アリベデルチ・ローマ

など名曲がずらり。

どれも、腹式呼吸をマスターした高いレベルを超えた人が歌わないと

決まらない歌ばかりだ。


現在でも、その心意気は、イタリア人の心に脈々と受け継がれて

最近のUチューブで、カンツォーネを聞いても

歌唱力が優れた歌手が歌う情熱のメロディーが主流だ。


世界的ヒット曲となり、それぞれの母国語に翻訳され、

カバー曲となっているものが非常に多い。


そうとも知らない日本人が多すぎるのにも、ちょっとがっかりだが、

CDを探しにいっても、英語圏の歌は売っていても

イタリア圏の歌は、ほとんど置いていない店が多い。


「カンツォーネは、どこに置いていますか?」と店員さんに尋ねても、逆に

「それって何ですか?」と、店員さんに聞き返される始末だ。


私は少しむっとして「「シャンソン」は、フランスの流行歌で、

「カンツォーネ」は、イタリアの流行歌だ。CDショップの店員として恥だから覚えといて!。」

と答える。


絵画の分野でも、ピカソは知っていても

サルバドール・ダリとなると、もう、知らない人が多い。


全く、最近、教養の無い人が多すぎる。

いくら勉強だけ出来ても、これでは、あまりにも人間として文化的教養に欠けている。

日本の教育は、どこか、間違っている。

教養の無い日本人が、欧米では、馬鹿にされてしまう。


歌を楽しみながら歌い、絵画を楽しみながら描き、リズムを楽しみながら踊る

などと言った芸術教養教育が、日本の子供達には、もっと必要だ。


絵心の全く欠如した形成外科医が再建した耳は、

目を覆いたくなるような悲惨な結果を生むからだ。







当院では、あらゆる耳の形態に関する治療を行っている。

これまで世界中に論文報告の無いような症例や

作り直しの症例など、耳の形態に関する

数々の困難な症例ばかりが集まってこられるようになった。


このような状況だから、

まだまだ治療法の確立されていない耳の形態に関する治療を

自ら新たに考え、実行しなければならない。

世界初の手術をする時は、誰も教えてくれる人も、資料も存在しない。


昨年末に、アメリカから発行された形成外科の教科書に、

依頼されて私は耳の再建について執筆した。

症例写真やイラストは、カラーとなっている。

その中には、耳を作る手術で、

やってはいけない禁忌となる方法と理由などを、まとめている。


形成外科医には、勉強になることばかりを書いている。

もちろん英語で執筆となっているが

しっかりと読んで学んでほしい。


[PLASTIC SURGERY] indications and practice ・VOLUME1

SAUNDERSからの出版・671頁から700頁

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小耳症術前の状態。
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耳があるべき場所を赤で示す。
髪の毛の生え際が耳の上3分の1にかかっているローヘアーラインのタイプ。
耳たぶの位置は通常よりも低いところにある。

髪の毛が生えない耳を正常な場所に作るためには
特殊な方法が必要な症例である。
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手術のデザインを示す。
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作成した3次元肋軟骨フレームを示す。
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切開線を示す。
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耳のあるべきところに髪の毛が生えている部分を切除した。
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耳たぶを表の皮弁と、裏の皮弁に2分割して耳たぶの裏側の皮弁を、
回転させて、耳があるべきところまで引き上げることが出来た。
耳たぶの表側の皮弁を本来の耳たぶの場所へと移動したところ。
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皮膚弁を反転して見た所を示す。
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3次元肋軟骨フレームを移植し皮膚弁でカバー縫合したところ。
耳の軟骨を全て摘出し、髪の毛が生えない耳が再建出来た。

通常のローヘアーラインの症例では、
3次元肋軟骨移植した上の方で頭皮切除の欠損部を
頭から血管膜を起こしてカバーし、
その上に更に頭からの薄く採取した皮膚を移植して
髪の毛が、はえない耳を作らなければならない。

しかし、この症例は、非常に特殊で、耳は低い位置にあるものの
皮膚の表面積が広く存在する症例だったので、
耳たぶの後ろ側の皮膚を上方に回転移動し、有効利用するという
新たな方法で、髪の毛を生えない耳が再建できた。

半年後の次回の手術時に、耳たぶの余分で切開する場所を青い線で示す。
本日は、肋軟骨移植術を行っていた小耳症患者さんが

無事退院となった。

半年後の耳立て手術を予約してお帰りになった。

代わりに明日手術予定の小耳症患者さんが入院された。

午前中に、入院患者さんたちの包帯交換を行った。


午後からは外来。

来週手術予定の小耳症患者さんの全身麻酔用の術前検査を行った。

そのほかに、スタール耳の患者さんの局所麻酔用の術前検査を行った。

更に術前や術後の経過観察中の患者さんたちの診察を行った。


気がつけばもう、6月も半ばとなっている。

当クリニックは、2階建て。1Fは外来と手術室、院長の居室である医局があり、2Fは病棟になっている。
かなりの面積なので、あたりまえだが掃除が大変。
で、業者に依頼して清掃をお願いしている。

今までにいろいろな人が来てくれて、中にはびっくり仰天の人もいたが、
(2日でやめてしまったり、ある日突然来なくなったり・・・)
ここしばらくは、ずっと同じ人が通ってきてくれている。

体は小柄だが、くるくるとよく働く、明るいおばちゃんだ。

おばちゃんは工夫がダイスキで、
ペットボトルでスポンジ置きを作ったりして、なんだか楽しそうだ。

でも、そのおばちゃんが、
ある日
「もう来れないかもしれない」と言い出した。 
「え?どうしたの?」
「カラスにつつかれたの。もう怖くてゴミダシに行かれない」

「いや、それは困るわよ。やめないでよ」とお願いしても、
おばちゃん、 思いつめた顔をしている。

しばらくは、
「あっちにカラスが何羽 とまってる」とか、
「こっちのカラスが飛んできた」とか、
おばちゃん本とに怯えてて、
そういえば近所の奥さんもゴキブリが本とに怖くて、
よくうちに助けを求めに来たけれど、
やっぱり他人にとっては何でもないものが、
自分にとっては怖いものってあるのだから仕方ないわね。
でも辞めないでと、念じていた。

そのうちしばらくしても、
「やっぱりやめます。」と言われないので、
カラス騒動は終結したのかと思っていた。

で、2Fへの階段を上っていくと、ベランダに、
黒と黄色の渦巻き模様がぶらさがっている。

「なに~~!?」

おばちゃんのカラスよけだった。
プラスチックにかいたもちろん手作りである。

ごみ置き場には、黄色いゴミ袋を引き裂いたカラスよけをぶら下げてある。
ごみを捨てるときは、金ラメの入ったストールを肩にかけ、
カンカン塀を叩きながら行くと大丈夫だと。

よかった。
おばちゃんは元気になったけど。
でも、もしかして、
カラスよけの渦巻きは、クリニック側に向けるより、
外側に向けたほうが効果があるのではないか。

しかしおばちゃんが元気になったのだから、ま、良しとしよう。



 
「青春歌年鑑、80年代総集編」

というCDを聞いている。

1980年代の、いろいろな歌手の代表作を収録したものだ。

計37曲が収録されている。

それぞれ、聞き覚えているものばかり。


聞いていると、

青春時代の経験や感情が果てしなく蘇って来る。


何をさておいても、小耳症の研究に執拗なまでに一途に没頭していた自分が

思い出されてくる。

寝ても覚めても、複雑な耳の形態を、科学的に正確に再建するために

取り組み続けていた日々。


そして一歩一歩が前進の日々。

興奮の日々。

日本経済が1987年のピークに達した時代だった。


経済がピークに達するまでの1980年代の歌手達は

その経済力に支えられ、激烈な競争の中から

極めてすばらしいヒット曲を生み出していた。


歴史が証明するように、

経済力が増せば増すほど

その時代は、激烈な競争の中から、真の芸術や科学の急速な発展が起きる。

逆に経済力の伸びが落ちれば、それら文化的な発展も少なくなるようだ。


今、正に、世界経済危機の中で、エネルギーをなくしてしまった日本が見え隠れしている。


1980年代の青春歌を聞きながら、進歩と発展の心を

今に繋げる事が出来る。



本日は、土曜日。

いつものように永田小耳症形成外科クリニックでは、

土曜日は午前午後とも、外来診察日となっている。


小耳症の患者さんが耳が完成し無事退院となった。

その後、小耳症の術前や、

術後の経過観察中の患者さん達が医院、

数名の診察を行った。


その合間を縫って

何とか2回に分けて

午前中に入院中の小耳症患者さんたちの包帯交換を行った。


午後からは、また

小耳症術前術後の患者さんたちが来院。

診察を行った。


ようやく1週間の仕事が終了した。

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本日の小耳症術前。臨床的にはほとんど無耳症に近い。
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耳があるべき場所を赤で示す。
髪の毛が60パーセント、耳があるべき場所に生えている。
重度ローヘアーラインの症例。
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手術デザインを示す。
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頭から薄い皮膚を採取した。
耳があるべき場所の毛根を切除した。
3次元肋軟骨フレームを作成した。
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頭から血管膜を起こした。
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3次元肋軟骨フレームを、耳のある場所へ移植。
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生きた血管膜でカバーして3次元肋軟骨フレームを生かす。
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頭からあらかじめ採取した薄い皮膚を移植した。
耳周囲の薄い皮膚採取部は入院中に治って髪の毛が生える。
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2008年11月28日。小耳症術前。
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耳があるべき場所を赤で示す。
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デザイン
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作成した3次元肋軟骨フレーム
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皮弁および皮下ポケットの作成。
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3次元肋軟骨フレームを皮下ポケットに移植した所。
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そして2009年6月11日、耳立て手術日となった。
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耳立て手術のデザインを示す。
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頭からあらかじめ薄い皮膚を採取した。
頭から生きた血管膜を起こしたところ。
耳を立てる支えとする肋軟骨ブロックを作成した。
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耳が立っている。
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耳が立っている。
耳の腫れは入院中に引く。
顔面が事故で破壊され、大欠損した患者さんに対して、

最後の手段として、他人の顔を移植する手術が行われるようになった。



世界初の手術は、オランダ、アムステルダム大学の、モシュ・コーン教授だ。

私はかつて、この大学にも招待されて、

小耳症手術の教育デモンストレーション手術を行ったことがある。

その時、私を招待講演として呼んだのが、モシュ・コーン教授だった。


その後何年かが経ってから、

中国の農村の患者が、顔面移植手術を受け成功した。

その患者さんが、手術後、我が家に帰り、皆が喜んでいるシーンが

テレビで放映されたことがあった。



それから何年か経過した今年

悲しいニュースが流れてきた。


その中国の患者さんは、死亡した。

理由は、免疫抑制剤を飲まなくなったからだと言う。


中国の一般庶民にとっては、免疫抑制剤を一生飲み続けると言うことは

おそらく、金銭的に、不可能な額となる。

手術当時は、手術代も、薬代も、病院持ちで、特別扱いだったはずだ。

が、

おそらく、お金が続かなくなれば、薬が買えなくなる。


すると、他人から提供されて移植された組織は

拒絶反応を示し、組織自体が死んでしまう。

すると、急激な顔面欠損が再び生じ

体液が大量に流失したことだろう。

そして、死亡してしまった。


この点で、やはり、困難でも、自分の体の組織を使って

顔面を再建すると言う方法へと、もう一度方向転換すべきであろう。


その点でも、自分の肋軟骨移植で再建された耳は、自分の組織だからこそ

免疫抑制剤を使わなくても良いのだ。

国会では、子供に対する臓器移植法案が今頃になって、討論されている。


以前にもこのブログで書いたが、

世界的に移植する臓器提供数は不足している。


だから、日本人の患者が、他の国で臓器移植を受けることは

他の国の患者にとっては、いい迷惑となる。


ついに今年、国連世界保健機構が、臓器移植は

それぞれの国で行うようにとの勧告を出した。


だからこれからは、子供の臓器移植も国内で行わなければならない。

しかしいまだに、「15歳以下の子供の臓器移植は行えない」

と言う法律のままとなっている。


諸外国から、非難されるまで、法律改正を行うことなく放置していた日本の国会は

全く怠慢だった、と言うしかない。


臓器移植でしか助かる方法がない子供の患者さんたちにとっては

待った無しの状態なのだ。


皆、自分の身に降りかからないと、何にも動こうとはしない。

患者数が少なければ少ないほど、政治家は得票数につながらないので

動きが鈍いのだ。

本日は、午前中に小耳症患者さんが無事1名退院となった。

かわりに、明日の手術予定の小耳症の患者さんが入院となった。

午前中に、入院中の小耳症患者さん達の包帯交換を行った。

水曜日の午後からは外来の時間となっている。


永田小耳症形成外科クリニックでは

月曜日の午後と、

水曜日の午後

土曜日の午前、午後が、

外来の時間帯となっています。


このうち、水曜日の午後が、最も待ち時間が少なくて済みます。

土曜日は、外来が混むので、待ち時間が多くなります。
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都内の某病院で手術を受けたが、耳が全体に前に傾いている。
いわゆる前傾耳となっている。
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耳があるべき場所を赤で示している。
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手術デザイン。
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耳の後ろから切開した。
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耳の上半分を後ろへ移動したところ。
すると耳の前方に、深い陥没欠損が出来た。
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耳の裏側から起こしてきた2枚の皮弁を示す。
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耳裏の皮膚を移動して耳の前の欠損をカバーする
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耳前方の深い欠損を埋めるために肋軟骨を採取し加工した所。
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深く陥没した耳前欠損部に肋軟骨移植を行った。
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皮弁を、全て縫合したところ。

本日は、月曜日。

午前中に、小耳症の患者さんが無事退院となった。


変わりに、明日手術予定の

かつて、都内某病院で手術を行われたものの

耳の作り直し予定手術の患者さんが入院となった。


午前中に入院中の患者さんたちの包帯交換を行った。


午後からは

来週手術予定の小耳症患者さん達の術前検査を行った。

他に経過観察中の小耳症患者さん達の診察を行った。