永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

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半年前に肋軟骨移植術を行っていた耳垂残存型小耳症。


もともとの耳垂が小さかったので、耳たぶの部分がボリューム不足となり


継ぎ目が目立つので、耳たぶにボリュームを追加して耳を立てることが必要。


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耳立て手術のデザインが完成したところ。


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頭から血管膜を起こしたところ。


耳の後ろに支えとして移植するための、肋軟骨ブロックを作成した。


また耳の後ろから薄い皮膚を採取した。


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耳の後ろにに肋軟骨ブロックを移植し、耳を立て、その後ろから血管膜でカバーした。


耳が立っている。


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同じ状態を耳の横から見たところ。


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同じ状態を耳の斜め上から見たところ。


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血管膜の上に頭から採皮した皮膚を移植したところ。


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横から見たところ。


耳の腫れは、次第に引いて再び輪郭を取り戻す。


小さかった耳垂を、生きた脂肪と、血管膜を入れて


大きくふっくらと膨らましている。


小耳症手術は一筋縄ではいかない困難な手術である。

形成外科分野のあらゆる移植手法を駆使して初めて耳が再建できる。

しかもその形態が体表の中で最も複雑であり

欠損の状態も患者さんにより、それぞれに異なっているので

なおさら、患者さんごとの、オーダーメイドの手術が必要となるから、

さらに困難を極める手術なのである。

形成外科医師としてのあらゆる修練を6年間積んでから、

形成外科の専門医師となった後で、始めて

小耳症手術の教育を行える。

小耳症手術を行えるようになる形成外科医は、

芸術的センスが、もともと備わっている人でなければならない。

それに欠ける人にいくら教えても限界があるし、良い結果が得られない

と言ったように、非常に特殊な分野である事を念頭に入れておくべき手術だ。

しかも年間に、日本全国でたった100名しか発生しない疾患である。

だからこそ、医師の手術経験が積めない疾患でもある。

年間を通じて日本国内で、毎週小耳症手術を3例も切れ目無く行っている施設は、と言うと、

永田小耳症形成外科クリニックだけである。

今日カナダのバンクーバーの小耳症患者さんのお母さんからメールが入った。


「私は、カナダのバンクーバー在住で、両側小耳症の娘をもつ母です。

永田先生は、私の事を全く知りません。が、

私の娘は、バンクーバーの形成外科医であるCourtemanche先生により、

永田法での小耳症手術を受けてよい耳が出来ました。

Courtrmanche先生は、カナダのトロントのシックチルドレン病院へ、国内留学して

そこに、永田先生が、小耳症手術の公演と、教育デモンストレーション手術を行いに

来られていた時、永田先生の手術を見て、小耳症手術を学びました。

もちろんその後も、永田先生の教え子であるシックチルドレン病院のFischer先生から、

さらに、永田法を学び続け、

サンフランシスコで行われた

アメリカ形成外科学会で、永田先生がインストラクショナルコースを行った時も

学びに行って永田法の勉強をした先生です。

その先生から永田法の手術を受けて

良い耳が出来て感謝しています。

本当にありがとうございました。」

と言うメールだった。

非常に嬉しい良いニュースだった。
歌手には、その人の最高にあった持ち歌ともいえる歌がある。  
                                                                    Lara Fabian の歌う [Adagio]。

パバロッチの歌う[オーソレミオ]。

エデット・ピアフの歌う[愛の賛歌]

など、きりが無い。


これらの代表作を、その歌手の最高の声が出ている

若い時のDVDで鑑賞できれば最高である。


これを実現できるのが、you-tubeなのだ。

なんと、かつて憧れだったイタリアのサンレモ音楽祭の

実況中継までも簡単に見ることが出来るから感動だ。


もう、タイムマシーンに乗っているような気持ちになる。


今日は、日本国内の歌手を検索してみた。

河合奈保子の歌う「唇のプライバシー」は最高だった。

この中で特に、赤い手袋をつけて、赤いドレスを着て踊りながら歌う河合奈保子は

感動物だ。


自分の心の中に残っているあのシーンを

探してみると、タイムマシーンに乗っているような感覚になる。

そして自分自身が、青春時代に戻って勇気がわいてくるから不思議だ。
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半年前に、耳垂残存型小耳症に対して肋軟骨移植術を行い、耳を再建していた症例。

術前の状態。今日は、耳立て手術。

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耳立て手術のデザインが完成したところ。

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頭から血管膜を起こした。耳の後ろの頭から薄い皮膚を採取した。

耳の後ろに支えとするための肋軟骨ブロックを作成した。

耳垂と耳との間の継ぎ目にあった肥厚性瘢痕の部分は切除した。

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肋軟骨ブロックを耳の後ろに移植して耳を立て、

それを生かすために、後ろから、血管膜で覆い、

その上に頭から採皮した薄い皮膚を移植した。

耳が立っている事がわかる。

採皮部の、かすり傷には、べスキチンのシートを当てている。

こうする事で、術後の痛みも、ほとんど取れて、出血も無い状態となる。

採皮部が治って髪の毛が生えてくると、シートは脱落する。

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立った耳を後ろから見たところ。

ガソリン税国会とも言うべき国会が行われている。


もう道路を作るスピードを落としても良いほど、道路は作られてきた。


もう日本は、お金が無い国となった。


道路つくりに60兆円近くものお金をかける時代ではない。


これらガソリン税は、福祉や、教育などにまわすべきである。


救急病院へすぐいける道路を作るといっているのだが、


本末転倒している。


救急病院は、モハヤ、つぶれており、数がかつてより20パーセント近くも減少しているし、


救急病院へついても、医師がいないのだ。


これだけのお金を救急病院へ投入したほうがもっと現実的だ。


ガソリン税は、一般財源化すべきだ。


 


また、公立の学校で、放課後に、塾から教師を招いて


有料で、補習授業を行い始めた。


何故、塾の教師を呼ばなければならないのか?


学校の教師が、何故その補習授業が出来ないのか?


学校の教師は、能力的に塾の教師より無能なのか?


あるいは、学校の教師に、別料金を払えば、


塾の教師みたいな授業が出来るのだろうか?


出来ないのだとすれば、日常の義務教育は何なのか?


今の学校教師を全て首にして、全てを塾の教師に取り替えればいいのだ。


そのためには、教育能力に見合った教師の給料アップが必要となる。


 


精神論だけでは、医療も、教育も、簡単には解決しない時間のかかる問題なのだ。

うちの母親はいま80歳ですが、この年代では正月が来ると「ひとつ」年をとります。正月に電話をすると「今年は何ぼになった?」と聞かれるので「まだ年は取っとらん。年は正月じゃなくて、誕生日に取るの。」と言います。
でも、今年は実は年末にちょっと寝込みまして、そのせいか年が明けたら妙に年を取ったようです。
で、去年からわずらっている「飛蚊症」がなんだか進んだような気がして、「そうだ、眼科の検診に行かなくちゃ」と思い出し、きょうはお休みしました。
でも、行って見たら眼科もお休みだったのね。
でもいまさらクリニックへ出かける元気もなく、家に帰って、おでんを煮込みながら2007年のアンケートを集計していました。
永田小耳症形成外科クリニックの初診の方に書いていただいたアンケートです。
それで気がついたのですが、2007年の小耳症の患者様は128人来院されそのうち121名が予約を取って帰られました。
でもこれって、一人につき2回手術をするのだから単純に計算して2年分の予約が入ったと言うこと?
はて、院長、わかっているのかな、と少し不安を覚えているしだいです。


小耳症の手術開始年齢は10歳を超えて、


胸囲が60cmを超えてから手術を開始する。


胸囲が60cmに到達していなければ11歳や12歳からとなる事もある。


 


10歳になると、耳の長さの成長が、ほぼ大人の長さに到達するからだ。


7歳では、大人の長さの70パーセントしかないために


その時期に無理をして手術を行うと、せっかく耳を作ったとしても、


皮膚の表面積が不足しており、成人大の耳を予測して作ったら輪郭が出ない。


また、肋軟骨のボリュームが不足しており、3次元肋軟骨フレームを全て作る事が困難である。


たった、3年後の10歳となると、左右差が出てきて作り直しとなることが多い。


 


これらの理由から、小耳症手術年齢は最低でも10歳からとなることが


世界のコンセンサスとなっている。


 


にもかかわらず、そんなことすら知らない経験の少ない医師により


7歳や8歳で手術を行われている施設が、いまだに存在している。


そんな施設に限って、不幸な結果となり、当院へ


作り直しを希望して来院される患者さんがいる。


要注意だ。


 


 


 

今日は、外来が結構忙しかった。


 


他の病院で数回もの手術を受けたものの、


耳の場所さえ間違って平らな耳を作られ、


不幸な結果となってしまい


作り直しを希望されて来院された小耳症患者さん1名。


 


別に、かつて私に診察を受けていたものの


18歳になる現在まで、手術を受けていなかった患者さんが来られた。


 


2名とも、秋に、手術の予約を取ってお帰りになった。


 


そのほかには、手術後の経過を見せに来られた患者さんが数名。


入院患者さんの包帯交換の回診は、たっぷりと時間がかかった。


皆順調だ。

今日は、トリーチャコリンズ症候群に

ローヘアーラインを合併した両側小耳症の

左の耳立て手術であった。


園長先生が本日は、出張でいないので、

ブログ用の写真を取れなかったのが残念。

というわけで、本日の術中写真がありません。


手術時間は,7時間30分。

トリーチャコリンズ症候群で、下顎骨が、非常に小さい患者さんだったために

麻酔の際の、気管チューブの挿管は、非常に困難なケースだが

上園教授により、気管支を使い、すんなりと、挿管された。

麻酔時間は、9時間10分。


これで今週の手術が、やっと終了してほっと一息というところだ。
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耳垂残存型小耳症術前。

耳のあるべき場所を赤マジックで示している。

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全てのデザインが完成したところ。

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3次元肋軟骨フレームを作成したところ。

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耳の軟骨を摘出して、皮弁形成をしたところを示す。

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3次元肋軟骨フレームを皮下に移植したところを示す。
今日は、関東地方には朝から雪が降った。

久々に見る雪だった。

私は、ずっとこのクリニックに寝泊りしているために

朝出勤してきた職員から聞いて初めて外が雪である事に気がついた。

この雪の中を、

小耳症の患者さんが1名めでたく退院となった。

変わりに、明日の小耳症患者さんが入院してきた。


雪の中のクリニックも、なかなか美しいものだ。
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術前の状態。以前に国内の大学病院の耳鼻科で穴をあけられている。

本来の外耳道孔とは、程遠いところに穴があけられている。

聞こえるようにはなっていない。

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耳のあるべきところを、赤マジックで示している。

するとあけられた穴は、相当、上で後ろとなっている事がわかる。

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術前のデザインが完了したところ。

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皮弁形成術後の状態を示す。

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患者さんは高齢のため、肋軟骨が骨化して、髄質は、黄色く変色しており、

もろくなっているために、3次元肋軟骨フレーム作成は困難を極めた。

作成した3次元肋軟骨フレームを示す。

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外耳道をさらに延長して皮弁を用いて、作成しようとしている途中の状態。

頭から血管膜を起こしたところ。

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皮弁を、反転させて、内側に巻きながら、外耳道を形成していく。

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3次元肋軟骨フレームを、皮弁の下に移植したところ。

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皮弁でカバーできないところは、頭からの血管膜でカバーした。

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血管膜の上に、耳の後ろの頭から薄く採皮膚した皮膚を移植した。

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細く巻いたガーゼを縫合固定した所。



今日は、関東地方に雪が降るという予想が外れた。

小耳症の退院患者さんが1名。

診察後、次回の手術予定を決めて退院された。

その後は、局所麻酔の手術を行い、

病室の入院患者さんの包帯交換を行った。

明日の小耳症手術の患者さんが、新たに入院となった。

以前に、耳鼻科で、ただ、大きな穴が開けられている患者さんだ。

明日も、長時間の手術となることが予想される。

当院の小耳症手術の患者さんたちは、最近

このような複雑なケースが急増している。

午後からは、来週の手術予定患者さん達の術前検査だった。

また、小耳症の新患患者さんの診察を行った。



1993年、団塊の世代が40代の働き盛りの頃、

日本のGDP「国民総生産」の国民一人当たりは、

世界第2位だった。

現在は、世界第18位まで転落している。


今後は、人口の多い団塊世代が退職していくので、

生産人口はますます減少し、

非生産人口、特に老人が増えるばかりとなる。

出生率は減っているので子供は増加しないか、減少するばかりだ。


すると、もっと、この順位は転落する事が予想される。


しかも土曜日を休みとした教育になってから

かつて、日本人の数学の平均学力が、団塊世代が小学生の頃は世界1だったのに、

現在は国際比較をしても同様に18位前後まで低下している。


学力低下してしまったものだから、馬鹿な子供たちが大人になって働いても、

今後ますます、科学的な能力の無い国となっていく。

当然のごとく、現在は国際的な大企業が、世界との競争に敗れるようになる。

すると、ますます国力は落ち続ける事になる。


当然、医学レベルも落ちていく。

このままでは、開発途上国といわれるような国となってしまうだろう。





すると、老人が増加すると共に、多くの病人が増加するのは確実な事だ。

それにもかかわらず、総額の医療費が削減されている。


だから、一人一人の病気のケアーがおろそかとなる。

一人当たりの単価が安くなると

つぶれる病院が多発する。

現におきている問題なのだ。

生き残った病院に患者は集中するようになる。


当然ベットは常に満床となるが

軽症ばかりで満床にしていても、

単価が安いために、現在でも、つぶれている病院が出ている。


だから、重症患者ばかりで満床となっている救急病院ばかりとなっている。


満床であれば、モハヤ新たな救急患者さんが発生しても、

病院には新たな収容能力は無い。


だから救急車の、たらいまわしが起きている。

30件以上の病院から、受け入れ不可能と言われ

死亡にいたるようなケースが、現実に起きている。


国が、いくら口ばかりポーズをとっても

単価を安くするのだから、病院経営が成り立たないばかりか

安全な治療が継続できないのだ。


日本は現在、医療難民が増加していくばかりの、

恐ろしい世の中となっている。


悪循環スパイラルに陥っている。


今日も、外来には小耳症の再診患者さんたちが

朝から数家族来られた。


永田小耳症形成外科クリニックの入院患者さんたちは、

日本全国から来られている小耳症の患者さん達なので

それぞれの患者さんの家庭は全く遠隔地だ。

違う方言が飛び交っている。

しかしながら、10歳の小耳症同士の患者さん達なので、

入院中に、親子ともども親しくなる。

まれな疾患で、同じ悩みを持つ患者さん達だからこそだ。


退院してからも、術後の検診のため定期的な外来通院となる。

その際などは同時期に入院していた患者さんたちが、

話し合って、同時刻に外来へ来られて

同窓会みたいに親しく話をされている。

ある家族などは、昼食を一緒にとって来られたとの事。

同じ疾患を抱えて患者さんたちが

同じ時期の入院生活をして

皆、耳が再建出来た経験をもつ。

お互いに、親しくなるのも当然なのだ。

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国内の耳鼻科で、耳の穴あけの手術を受けた耳垂残存型小耳症の症例。


なぜか、耳垂を、後方へ移動されている。


形態的には、非常に、不幸な結果となっている。


すなわち耳のあるべき場所は傷だらけとなっている。


耳鼻科で、穴を開ける手術の際に、耳を再建することを、全く無視した手術を受けている。


また、耳の前には、副耳も存在している。


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耳があるべき場所を、赤マジックで書いてみたところ。


いかに、耳たぶを、耳鼻科手術の時に、異常な場所に移動されているかがわかる。


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術前のデザインが完成したところ。


以前の切開された瘢痕に沿った切開をデザインした。


とんでもない場所に、耳垂を移動されてしまっている事が良くわかる。


耳再建術は、困難となる。


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3次元肋軟骨フレームを作成したところ。


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切開直後の状態。穴のすぐ後ろを切開している。


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耳穴の後ろからの皮弁を起こしたところ。


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耳垂を表皮弁と裏皮弁に分割して、皮弁の面積を増大したところ。


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上と下の皮弁を互い違いに入れ替えたところ。


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耳垂を広げた皮弁の広さを示す。


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3次元肋軟骨移植直後の状態。


耳が再建されて、副耳も切除した。

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小耳症術前の状態。


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耳があるべき所を赤マジックで書いて示す。


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デザイン完了時、耳たぶの後ろから見たところ。


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耳たぶの表から見たところ。


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3次元肋軟骨フレームを作成したところ。


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皮弁形成を行った所。


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皮膚の下に、3次元肋軟骨フレームを移植し、皮弁同士をを縫合したところ。

日本経済に活気が無い。


最も人口の多い団塊の世代が、毎年リタイヤーしていく。


戦後のベビーブームで生まれた多くの子供達。


 


戦後の新たな教育を受け、激烈な競争にさらされながら育った。


焼け野が原の戦後から、貧困と食糧難。


そんな状態からの人生のスタートだった。


週休1日だった。


土曜日だって、学校があった。


1クラスは60名だった。


一学年が、36クラスもあった。


 


今みたいに、少人数制の教育ではなかったが、


私達が受けた当時の小中学生の数学の力は、国際テスト比較で世界1だった。


受験地獄といわれるほど難関な大学受験だった。


えりすぐられた人のみが大学へ進んだ。


現在3倍程度の医学部の受験倍率は、当時は20倍、30倍と天文学的数字だった。


工学部の学生達も、もちろん優秀だった。


進学しない生徒達は、中学卒業と同時に


あるいは高校卒業と同時に、金の卵と称せられて


地方から、列車に乗り都会へと、集団就職していった。


 


成人した団塊世代は、死に物狂いで働き、


日本経済をミルミル発展させていった。


程なく日本経済は、どん底から世界第2位まで上り詰めていった。


厳しい弱肉強食の淘汰の結果、世界との競争に打ち勝つ事が出来た。


そして団塊世代が家庭を持ち、自宅を立てる時期となった。


その需要の多さのために住宅価格は異常高騰となった。


ようやく自宅を立てることが出来た人たちも、


会社で地位が高くなった人が増えたからといって


会社でのリストラによる肩たたきに合うようになった。


 


団塊世代は、日本経済を最も非常に発展させた功績がある。


その世代が、今や毎年、定年を迎えている。


かつて無いほど、労働人口が減っているのだ。


 


それに引き換え、週休2日になれた現在の若者達は


だれでも大学へ行く時代となった。


国際的に学力も低下し、


我慢の出来ない世代で、人口も少ない。


ハングリー精神も無いものだから、ガムシャラに働く事も無い。


これでは、世界との競争に打ち勝てるわけが無い。


 


今後、当面、日本経済は、かつてのような成長は期待できなくなる。


どころか低下する運命にも見える。


経済力低下が引き起こす結果は、悲惨なものとなる。


 


ということで、「世界の投資家達が、


魅力の無くなった日本株を見捨てて買わなくなっている。」


と今日のニュースで言っていた。


 


日本人は、かつての原点に立ち返り、


子供達の教育の必要性を思い返すべき時に来ている。


甘えすぎた結果、今日本は、世界競争から取り残され、経済力を失いつつある。


学校は、少なくとも、週休1日に戻すべきだ。


 


病院は、週休0日だ。


そのうち、週休2日に慣れ親しんで育った若い医師達が出現すると、


その2日は、恐怖の2日間となるだろう。


 


 


 


 

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半年前に、肋軟骨移植を行っていた小耳症。今日は耳立て手術。


赤線は、浅側頭動脈の走行を示す。


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術前のデザイン。


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耳の後ろから耳を支えて立てるための、作成した肋軟骨ブロックを右において示す。


頭から、血管膜を起こしたところ。側頭部の後ろからは、薄い皮膚を採取した。


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肋軟骨ブロックで耳を支えて立てた後で、


耳の後ろ側全体を、頭から起こしてきた血管膜でカバーしたところ。


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耳全体を後ろから見たところ、耳が立っている。


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頭から、耳を見たところ。血管膜でカバーしたところ。


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血管膜の上には、頭から採皮した薄い皮膚を、移植した。


しっかりと皮膚が立っている。

最近、ホントに寒い
寒いのが大の苦手な私。
しかし、手袋をここ何年もしていないというか、持っていない。
通勤は車なので、普段は必要ない。
しかし、出かける時に『手袋・・・欲しい。。。』
と思うのです。

先日、母と出かけた時、手袋のない私を見て
母:「手袋あげようか?」
私:「えっ、くれるの??」
母:「何年か前にあなたから貰った手袋。使ってないからあげるよ」
私:「そっ、それってひどくない!!」
誕生日プレゼントに以前あげたものだ
それをくれるって・・・
↓↓
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そうだ・・・
母は、物を捨てられない人・・・
今、母の使っている手袋はかなり色もはげてるし、ちょっと、ボロボロぎみ。
しかし、皮が自分の手に馴染んでいていいんだとか・・・。
それで、私のあげた手袋は使わないまま・・・
私の元へ・・・帰ってきた???
いいんだか・・・悲しいやら。。。

まっ、暖かいからいいかっ
本日は休日だが、

小耳症患者さんが2名退院。

1名は耳立て手術も終わった韓国からの患者さんだった。

もう1名は1回目の肋軟骨移植術が終わった患者さんで、

次回の耳立て手術を半年後に予約して退院された。


また午前中に、明日の小耳症患者さんが入院となった。

入院患者さんの包帯交換を終了したら、

もうお昼となった。

今年になって、1月も半ば

時の経つのは早いものである。

昨日の土曜日はちょっとどきどきしながら出勤してきた。

金曜日は病棟勤務で日中はナースをしていたのだけれど、夕方5時になったので、夜勤さんにバトンタッチ。その日はやりなおしの手術なので多分手術が終わるのは夜中になる予定だった。

うちの院長の口癖は
「医学は科学だ!」なのだけれど、
でも私に言わせれば、彼は科学など関係なく、本能だけで手術している。
その証拠に腹が減るとものすごい不機嫌になり、手術中でも突然
「腹が減った!!」と叫びだす。
急いで何が何でも食べさせないと、どうにもならなくなる。
ものすごい勢いで食べて、またものすごい勢いで手を洗って、また手術を続ける。
最初は「え?手術中に食事?」と驚いたけど、集中力が勝負の手術なので、できるだけベストコンディションを保つ必要があるらしい。
だから手術中もダイスキなオペラなど流している。
とにかくダイスキな手術だからやっているので、まさに本能の赴くままではないか。

まあそういうわけなので、金曜日はいつもの「スタミナ弁当」と夜食に「おにぎり」も用意して帰った。とりあえず食べさせておけば、最悪の状態にはならないはずだ。

で、夕べは遅くまでかかったのかなあと心配しながら土曜日出てきたわけだ。
で、院長の顔はおサルのようにまっかっか。
ま、疲労度は70パーセントといったところか。
しかし妙なハイテンションでしゃべりまくっている。
自分の亭主ながら、おかしな人だと思う。

夜中まで一緒に働いていたはずの○先生もいつもどおり嬉しそうな様子で現れた。疲れたときでも楽しそうに見えるのが、○先生の特技だ。○先生も、どうやら本能の人らしい。

私の場合、○先生をみると何か食べさせたくなり、
「ねえ、○先生、えびバーガーあげましょうか」と、その日も食べさせてしまった。
時々
「砂糖の入った飲み物は太りますよ!」とか「果物も糖分が多いんですよ」とか言ってるものだから
「おくさん、食べろと言ったり、食べるなと言ったりどっちですか」と言いながら○先生は
「おくさん、このえびバーガー、ぷりぷりして美味しいですね」と食べてしまった。
私の本能は、どうやらだれかれかまわず食べさせたくなることらしい。


今日も寒い日だった。

戸田市は,快晴なのに、冷たい風が吹いて

冬らしい天気だ。

地球温暖化しないように、やはり冬は寒いのが良い。


ただし、毎年冬に吹く風は、意地悪く、

周囲から飛んできた枯葉まで

なぜか、見事なほど

当院の玄関先に集まってくるから

いやだーーーー。


明日の朝も、掃除が必要だ。

昨日の手術は、


まさに長時間の手術だったので


今日は私の顔が真っ赤になっている。


 


外来で患者さんに心配されるくらい真っ赤な顔となっている。


ところが私にとってこの状態はさほど体調が崩れていない時なのだ。


 


もっと疲れると、顔が、緑色となる。


 


カメレオンとも言われている。


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手術が、終わって、皆で、記念撮影。


実はヘトヘトなのに、皆、明るいのです。

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以前、日本の大学の耳鼻科で、聞こえのための手術を受けたものの、


とんでもない巨大な陥没変形を残しただけで、聞こえるようにはならなかった両側小耳症。


日本の耳鼻科の手術後では、このような悲惨な不幸な結果ばかりが、ほとんどだ。


このような症例の耳再建術は困難を究める。


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耳があるべき場所を描くと、陥没部がいかに大きいか、がわかる。


正常な耳の穴の大きさと、あまりにもかけ離れた巨大なものとなっている。


傷も汚い状態となっている。結局聞こえるようにはならなかった症例。


なおかつ、耳たぶが,あまりにも下に存在する。


このような心無い手術は、するべきではない。


意味が無いばかりか、患者さんが、かわいそうだ。


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術前の複雑なデザインが完成したところ。


浅側頭動脈も破壊されていた。


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3次元肋軟骨フレームを作成したところ。


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切開した所見。


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浅側頭動脈が切られているので、後頭動脈が含まれるように


広茎の血管膜を起こした。


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巨大陥没部周囲からの3枚の皮弁を起こし、反転して、土台を作成すると同時に


外耳道を作成した。


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土台の上に、3次元肋軟骨フレームを置いた。


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3次元肋軟骨フレームを生かすために、頭から起こしてきた血管膜で、カバーしたところ。


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頭から、かすり傷ほどの薄い皮膚を採取したところ。


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頭から採皮した皮膚を、血管膜の上に移植したところ。


この皮膚は毛根を含まないほど薄いので、耳から髪の毛が生えなくてすむし


色も耳と同じとなる。


作成した耳珠の後ろに,外耳道が、開口して再建された。


耳たぶも正常な場所に形成されている。


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ガーゼをロール状に巻いたものを縫合して軽い圧迫をしたところ。


採否部のかすり傷には、べスキチンのシートを貼っている。


これを貼ると出血も止まり、痛みも取れる。


傷が治り、髪の毛が生えると、べスキチンは、脱落する。


すなわち頭からの採皮膚部は、傷が治り髪の毛が生えて隠れる。

今年の正月は、東京都美術館に行ってきました
目的は『日書展』
母の習字(かな)が出展されているので、母に連れ出されました(笑)
私は書展には興味なし・・・
まぁ、予定もなかったので行くことに。。。

今回の書展は全国規模の大きなものみたい・・・
会場も広い・・・
そこから母の作品を探すので一苦労・・・
やっと見つけた
これ↓です

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 新古今和歌集79番
 「よし野山 さくらが枝に雪降りて 
      花おそげなる 年にもあるかな」

と書いてあるそう・・・
読めないわ・・・(笑)

特選とか、○賞など賞が付いてる人がいる。
母は・・・
「入選」
「入選」って・・・???
入選した人しか飾られてないので、だめじゃん

母よ・・・
がんばって~~~

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耳垂欠損と、立ち耳の合併した症例。


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術前のデザインを示す。


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デザインどうり耳の裏を切開したところ。


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耳たぶの裏の皮膚をひっくり返して耳たぶの前面の面積を増やしている。


耳の裏の皮膚に、耳の軟骨を付けたまま皮弁を後ろに起こしたところ。


この軟骨皮弁で耳たぶの裏をカバーする。


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耳の裏から達耳を強制するために糸をかけて後、


皮弁を縫合し終わったところ。


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耳を表から見たところ。


耳たぶが正常の形に出来上がり、立ち耳も治って正常な形が再建された。DSC04782.jpg


耳を保護するために、耳の周りにスポンジを当てている。


耳の皮弁が密着するように、


耳の裏と表からガーゼで軽い圧迫を加えるように縫合固定している。


 

今日は、耳垂の欠損及び立ち耳合併した症例の手術だった。


いつものように手術中の写真を取ったのだが、


夕方からは、園長先生がいないために


今日は写真を、このブログにインプットできません。


明日の夜には紹介できます。


お待ちください。


 


また明日は、かつて、聞こえの目的で、


日本の大学の耳鼻科で、大穴を明けられてしまったのに


聞こえない不幸な結果となった小耳症の


長時間の耳再建手術が予定されているので、


夜、遅くなる予定です。

なんと、当院の若先生である園長先生は


お正月、ハワイで過ごしたのだった。


ハワイでのすべての食生活は、「大きい事はいいことだ」。


みたいに、全てがジャンボサイズだったと驚いていた。


 


私も学会で、サンフランシスコ。ロサンゼルス。ダラス。ボルチモア。


など、たびたび訪れる機会があった。


そのたびに、それらの


アメリカの町で、色々な食事の店やスーパーなどを利用する。


 


そのたびに、スーパーでは、バケツ大のアイスクリームやバケツ大の肉の塊ごとの販売、


に驚き、腰を抜かす。


レストランで注文すると、大きなビールジョッキ大のコカコーラが出てきたり、


大きなフライパン大のハンバーグが出てきたりで、腰を抜かす。


日本だと、4人分の大きさが常識なのだ。


 


今回の園長先生の体験も同じだった。


ハワイでは、超肥満の人たちが、非常に多かったことに驚いていた。


日本で言う肥満とは、桁違いの肥満なのだ。


食生活は恐ろしい。


 


やはり日本食は、素晴らしいのだ。