永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

細○数子先生の「六星占術」によると、私は「木星人(+)」
今年は財成の年、12年に一度の財を得る年なんですって!!
占いに詳しいアロマ様も私と一緒の「木星人(+)」
なんとアロマ姫様は車を当てた!!
アロマ様から「今年は宝くじ、懸賞あたるわよ!11月が財成の月だから、更にいいかも!!」と・・・。

私は懸賞や、宝くじなど興味がない。
当たるはずがないと思っている。
が・・・・・

入院中の患者様が「iPod shuffle」をお母さんが懸賞で当てたんだ!と私に見せるもんだから、懸賞って当たる人もいるのね・・・と

ある日コンビ二で「iPod shuffle」の応募シールが貼られたのむヨーグルトを発見・・・

で、集めてしまった・・・↓↓
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11月1日は「財成の月&日」である
明日、投函するのだ
・・・・・
当たれぇ~
院長がブログが出来ないので、今のうちにと、ブログジャックしている。

○先生は医局をジャックして、新しいホームページ作りに夢中でバチバチバチバチとキーボードを叩いてる。お昼になってもご飯も食べようとしないので、差し入れの焼き鳥を温めて、炊き立てのご飯を並べて
「早く食べてください。外来が始まりますよ」と・・・何だか院長がいる時と同じせりふだ。
○先生のパソコンや荷物が、医局中に広がって、医局は完全に○先生が制覇した。

院長がいなくても、いろいろメールが入る。メールのチェックもして、院長の代わりに返事も出さねばならない。
あら、今日は変わったメールが。○×大学の×○先生から?
何とボルチモアで院長と一緒にとった写真をわざわざおくってくださったのだ。
院長より先に、写真が届いたというわけか。
う~ん、エジンバラでとったのと同じ服だ。私が台風の中取りに行ったあのスーツはどうしたの?
ま、紫芋スーツでないだけましなのかな。

とりあえず、写真の院長はいつもの院長で元気そうでした。
なにより。
また今日もサボりました。

今日は歯医者に行って、その後ひたすら片付けをして(BGMは竹内マリア)てんこ盛りのハンバーグとなべいっぱいの野菜のスープを作りました。
いま家に一人で幸せです。2年前はひたすら3人の息子たちが順番に家を出て行ってくれるのを楽しみにしていたのに、今は自分が家にいられなくなっちゃった。まったく人生はどんでん返し。博打みたいなもんですね。

今頃院長はまた時差ぼけで、夜中じゅううろうろと歩き回っていることでしょう。
以前始めてアメリカに行った時、私は疲れて眠っていたけど院長は時差ぼけだと称して一晩中うろうろと歩き回っておりました。
別にそれはかまわないのだが、スリッパを履いてパタパタパタパタうるさい。うっかり目を覚まして文句を言うと、うれしそうに話しかけてくる。厄介なのでじっと眠った振りをしていたが、次は腹が減って日本から持ってきたせんべいをバリバリかじる。
まったくもってたまらんと次の日文句を言うと、次の夜からははだしで歩き回っておりました。 

たぶん帰ってきてからも、少なくとも2ヶ月は時差ぼけだと言っていることでしょう。

私は火曜日に休みが取れることなどまずないので、久しぶりに一人ぼっちを堪能しています。

クリニックにいる○先生、お疲れ様! 明日は行って働きます!
病院中がスカスカだ。院長がボルチモアに出かけ、手術が休みなので、今週は入院患者さんがおられない。今月始めにも1週間エジンバラへ出かけているので、その週も手術がなかった。今日は○先生が退院診察をされ、また一人無事退院をされ、ますます寂しくなってきた。いつもとは打って変わった静かな永田小耳症形成外科クリニックである。

と思ったのだが、○先生が叫んでる。
「おくさん!たこ焼きしましょう!」
「タコどうするんですか」と聞いたら
「冷蔵庫にあるでしょう!」といって(院長の晩のおかず、冷凍してある)
ナースのIさんに
「Iさん、たこ焼き食べましょう!」と誘い、
「ダイエット中です」と軽く断られていたけれどぜんぜんめげないで
「奥さん、一緒に焼きましょう!」と無理やり私を引きずり込んで、まだ焼けてもいないのに事務さんにも薬剤師さんにも集合をかけ、結局Iさんも参加して、またまたたこを焼いたのであった。
さすが2回目とあって今度は腕も上がり、Iさんなどはすっかり気に入って
「先生、たこ焼き機、貸してください」とまで言わせてしまったのだった。恐るべし、関西人のたこやき!!

なんだかこう書くと一日中遊んでいたように思われるかもしれないが、午前中は回診があり、午後は術前検査に3人こられ、外来での包帯交換や、美容の患者さんなどの処置もあり、なかなかに忙しい合間を縫ってのたこ焼きでした。夜はホームページ(美容)をパワーアップするために知恵を振り絞り、○先生は今頃はさぞやお疲れでしょうが、私は今家にいて、これから本でも読んで、寝る所です。
行ってきました「ホームパーティ」
そう、フラメンコショーで舞台に立っていたカンテ(歌)のJさんとバイレ(踊り)のMさんご夫婦のホームパーティ・・・

12時から開始・・・
というので、少し遅く行かなきゃね・・・(スペイン人は予定時間に行くのは早すぎるのです)
ってことで、1時過ぎくらいに行きました。

ら、ら。。。
「ごめんね~、まだ準備中なの。手伝って~~!!」
とMさん。
家にはチラホラの人しか・・・。

Jさんは「ちょっと、歌ってきます。すぐ戻るね」
と、仕事に行ってしまうし、
奥様のMさんは「買い物行ってくる」と、家の主が消えた・・・
そこで、主がいないけど、始めちゃえ!!
「カンパーイ!!」
って・・・・
ギスギスしてなくて、この適当さ。。。最高!!(笑)

2時間くらいして、Jさんが戻って来てから本格的に準備開始。
そして、人がどんどん増えてきた。

スペイン本場の家庭料理をごちそうになりました。
これは「サングリア」を作っているところです
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赤ワイン、りんご、レモン、オレンジジュース、ブランデー、シナモンスティックを入れてます。(家庭によって、入れるものが多少異なるらしい)ダイナミックでいいでしょ!!

もちろん、またまたフラメンコも踊ってしまった私と友人Nさん・・・
踊ったら、満足。
人が限りなく来るので、あまり関係ない私たちは早々に帰えることにしました。
なんだかスペインを満喫って感じで、楽しかったぁ
お邪魔しました
院長は今日からアメリカ 
出張に行く前に「ブログ書いておいてね。今回はパソコン持っていかないから、向こうから書けない。。。」
と、ご指令が・・・・
では、ではそのご指令どおり、お仕事しなきゃね・・・

昨日は台風の大雨の中、以前何度か紹介したスペインバルでの「フラメンコショー」に参加させて頂きました。
ビュッフェ形式でのフラメンコショーでした。
私の大好きな「ガロティン」という曲目も踊っていて、感激。
しかも、そんなに大きなカフェではないので、目の前で踊ってくれたものだから、迫力がすごい
そして、そして、途中、途中で「みんなもどうぞ!!」って舞台で踊ってもいいと・・・。
生のカンテ(歌・スペイン人)とギターで踊れるなんて、そう機会はない
え~~い、踊ってしまえ!!
怖いもの知らずの私と友人・・・
踊ってしまった。。。
たのし~~い

他のお客さんたちともおしゃべりがはずみ、とっても有意義な時間でした。
私のスペイン人の友人Gさん作の巨大パエジャです

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(写真じゃわからないかぁ。。。直径60センチはあったと思う・・・)   
Gさんのスペイン料理は最高にウマイ

そして、本日は、なんとカンテ(歌)のJさんとバイレ(踊り)のMさんご夫婦のホームパーティがあるんですって
社交辞令でしょうが、お招きいただいたので、友人と少しだけおじゃましてしまう予定です。
だって、フラメンコもやるっていうしぃ~~
ちょっとだけね。。。では行ってきます

院長、今朝6時30分、またまた出かけて行きました。今度はアメリカのボルチモアです。ボルチモアと言えば、あのヘアスプレーの故郷です。


夕べは季節外れの台風で、何かあるとすぐ止まってしまうしまう武蔵野線を利用している私は、以前も大雨の時電車で行ったり来たりした挙句、夜中の11時ごろクリニックへ舞い戻った事があります。その二の舞はごめんだと、夕べは外来診察室に泊まりました。


目覚ましが朝6時になったので、医局へ来て見たら、院長はとっくに着替えて荷物の点検をしていました。最後に詰め込んだのが「サツマイモ色のスーツ」今や院長の外皮となった赤紫色の手術着です。新しいスーツより、たぶん院長にとっては重要なのだわ。


依然誰かのお母さんに「ずっと着てるんですか?」と聞かれ


「ずっと着てるんです。手術するときも寝るときもずっと着てるんです。」と答えたら


「何時着替えるんですか?」と聞かれて困りました。


(はて、着替えているんだろうか??)


「毎日着替えてます。」と言ったけど、今度聞いとこう・・・。


ところで、「雨に唄えば」もいいけれど、私は「パリのアメリカ人」も大好きです。

30年前と変わらない


遅れた小耳症治療をしている大学がいまだに存在する。


そういう所では、当然、昔の治療法を説明される。


 


最先端の治療を行っているところは、最先端の説明をする。


 


何も考えなければ、近所の大学病院で手術を受ける。


そして不幸な結果となり、作り直しに、当院へとやってくる。


 


最初から、来ていれば、患者さんは痛い思いや、苦労せずにすんだものを


 


これは、小耳症治療が、聞こえの問題、顔面変形の問題をも、含み


総合的に間違いのない手順を踏んで治療すべきである。


 


一つ間違えると、次に影響してくる。


 


もう一つは、その治療の最先端をやっているところは当然


日本で、1箇所しかない。


 


近所で治療しようなどと思っても


不可能なのに、


近所でやっているところを探そうとしてメールをよこす患者さんがいる。


 


近所で手術すると、どうなったかを最もよく知っているのは


そこで手術を受けて、作り直しとなって当院に来られた患者さんである。


 


患者さんは子供だから、どこで手術するのかを決めることはできない。


決めるのは親である。


後で子供から恨まれないですむように、どこでどんな結果がでているのかを


自分の目で確かめるためにも、必ず、


複数箇所受診されて説明を聞く努力は必要。


 


そして、はっきりと、どこが世界1の治療が出来るのかに


気がつくかどうかが、患者さんの運命の分かれ道となるのです。

今日も雨、なんと台風が東京に接近している。


明日は晴れ、との予報なので、


アメリカへのジェット機は予定通り飛んでくれるはずだ。


いずれにしても、明日に向かって


アメリカ行きの準備もしなければならない。


 


外来には、術後患者さんが経過を見せにこの雨の中数名来られ、


また、わざわざ九州からの患者さんが、来られて手術日を決めて帰られた。


 


午後は外来の合間をぬって入院患者さんの消毒を行う予定。


 

自己表現が最大に出来たとき


爽快感がある。


 


例えば、画家が自分のイメージ通りの絵画が出来た瞬間、爽快感を感じる。


歌手が自分の思いどうりに歌えたとき、爽快感を感じる。


この爽快感が,観衆、聴衆に最高の感動を与えた時、


最高の自己表現が出来た時となる。


爽快感を感じるときである。


 


私の自己表現は、公演時に


「いかに耳を正確に作るようにするのか・


基礎から始まり、順次


困難な症例にいたるまで、


さらに、


これでもかと言うほど、


たとえ以前に、手術を受けていて、


どんなに、徹底的に破壊されていた耳であっても、


不可能を可能に出来るのだ、すなわち、作り直しと思えないほど


正確に出来ると言う


事を表現していく。


 


私の公演を見ていた耳つくりの専門家達が、皆


驚き、どよめき、興奮に、目つきが変わり


 


公演の途中から


皆が


瞬きすらしなくなり、


静寂となる。


 


聞こえてくるのは、自分の声と、


画像を切り替える時に、自分が押すキーボードの音だけとなってくる。


 


そして会場から、ため息が聞こえ始め


私の発表のペースは、滑らかとなる。


 


公演の画像は800にも及び、


公演は、軽く2時間ほど一気に行われる。


 


次々に、段階的に、困難な症例となって行き


画像は次々と息をつかせず変わっていく。


そして、


不可能が可能になっている事を聴衆に


十分知らさしめる事が出来たとき


私の講演が終了する。


 


終了後、


一瞬の静寂の後、大興奮の千切れんばかりの拍手となる。


 


爽快感が走る瞬間だ。

今日に手術は,1歳の子の頬部に出来た石灰化上皮腫の全し麻下の摘出手術。


その後、包帯交換を行った。


 


何せ、あさっての日曜日には、アメリカ形成外科学会のために


成田から出発となる。


昨晩までに、教育用の原稿及び、画像の準備は終了した。


が・


開業以来、まもなくからずっと、私は


当直続きで、いつも手術着が私の普段着となっている。


 


だから外出着など通常は必要ではなかった。


それゆえ


スーツや靴など、といった普段身に着ける物の


買いものなどは、長い間していなかった。


いや、買い物などする暇もなかった。


だから、さすがに、人前で講演をするには、それらは、よれよれとなっていた。


 


そのよれよれのまま、2週間前は、エジンバラの国際耳再建学会へと行ってしまったが、


見るに見かねたのか、事務長がどうしても、


それでは、みっともないから、買い物に行くのだ。


と、この雨の中を、引っ張りまわされて


むりやり、スーツ、シャツ、ネクタイ、靴の新調を、させられた。


 


ようやく帰ってきて、ほっとしている。


モハヤ、医局が住家の感覚となっている私だ。

今日はOFFです。何とか天気も持ってくれ、シーツも洗濯できた。風呂場も洗った。おでんもできた。


後は普段できない雑用が山積みで、通帳を持って銀行を駆け巡り、切れたシャンプーやキャベツを買いあさり、息子のトレーナーを見に市川プランタンへ自転車を走らせた。


実は私、大の映画好き。以前は毎月映画を見にプランタンを訪れたものだったが・・・今はとんと・・・?と?


ヘアスプレー?


気がつくとパンフレットを握って映画館に座っている私がいた。なぜか館内はがらがらで、私も含め、ご年配者がほとんど。若者は見当たらない。あら、これって若い人向けじゃなかったのね。


映画は予告編もダイスキ。SFも良いけど中でもミュージカルがダイスキ。ヘアスプレーは間違いなくミュージカルだ。


ミシェル・ファイファーが踊ってる!ト、トラボルタが踊ってる!先日テレビでケビン・スペイシーが踊ってて仰天したけど、クリストファー・ウォーケンが踊ってる。


トラボルタは、なかなかやるのお。達者だった。若い子達も、ありえないくらいかわいい!!


今までに 2回続けてみた映画が「アアメリカングラフティ」と「ザッツエンターテイメント」だ。時間さえあればこれももう一回見たいものだが・・・。


きゃー!楽しかった。理屈抜き。


以前毒子さんに「ミュージカルが好きなんですか?」と尋ねられ「フレッド・アステア知ってる?」と聞いたら「知りません」と言われた。ジーン・ケリーもマリリン・モンローも知らないとのこと。


あの時おばさんは少し寂しかったけど、今日はごきげん。こんな夜は今からビールでも飲んで、幸せな気分で寝てしまおうっと。

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右耳垂残存型小耳症に副耳、及び、耳前ろう孔の合併した症例。


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術前デザインの完成した状態を示す。


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作成した3次元肋軟骨フレーム。


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皮弁作成を行った所を示す。


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ろう孔切除、及び、副耳切除をも行い、


3次元肋軟骨フレームを皮下に移植して耳が完成した所。


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陥凹部にガーゼをつめて軽い圧迫固定した。

10月28日からアメリカ形成外科学会のために、


出発しないといけない。


アメリカ形成外科学会で私は


小耳症のインストラクショナルコースを、長時間行って、


アメリカの医師を、教育する。


 


そのために、今日は一日かかって、原稿つくりを行った。


忙しすぎる今月だ。


 


またまた、時差ぼけの世界へ突入しなければならない。


今回の開催地はボルチモア


情報によるとあまり治安の良くないところのようだ。


 


今回はアメリカなので、飛行機の手荷物検査も厳しいようだ。


だから、コンピューターを持っていくのはやめた。


それでその間は私がこのブログをかけない。


帰国は11月1日の予定です。


 


 

エジンバラでの国際耳再建学会を開催したのは


エジンバラ王立小児病院の、ケン・スチュワート医師だ。


 


私が、エジンバラ空港に着いたときには、空港に自らで迎えに来てくれていた。


彼の車で、ホテルまで連れて行ってくれたのだが、その途中で


町を案内してみせる。


とても綺麗な、おとぎの国のようなところだった。


 


さて、彼はまず、パリ在住のフランソワーズフィアミンの所へ行って


間接的に、「永田法」を学ぶつもりだった。


フィアミンが、永田法を行っているとの事だったからだ。


しかしフィアミンが彼に言ったのは、


「まずアメリカのブレントの所に行って、基礎的なことを学んでから、


自分の所へ来るべきだ。永田の所へ直接行っても教えてはくれない。」と。


そこで彼は言われたとおり、


ブレントの所へ行き、ブレントに高い授業料を払って、学び


エジンバラへ帰ってからブレント法を行っていた。


 


その後、2年ほど前・イギリスのバーミンガム大学で、


行われた小耳症学会で、私のレクチャーと、デモンストレーション手術を見て


私の所へ来て「日本に行って、永田法を学びたいのです。


手術見学させてもらえませんか?」と聞かれた。


私が「いいですよ。」と答えたので、彼は、大喜びだった。


 


そして昨年、麻酔医師を引き連れて、永田小耳症形成外科クリニック


へと、学びにやってきた。


小耳症の麻酔医は、永田小耳症形成外科クリニックに麻酔をかけにきている


上園教授から、小耳症手術のための低血圧麻酔法を学んだ。


今回の私が行うデモンストレーション手術の際には


、その麻酔医が私の手術の麻酔をかけたので、麻酔からさめた患者さんは元気だった。


また、スチュワートは、私の小耳症手術を繰り返し熱心に学んだ。


 


そして帰国後、ブレント法から私の方法での手術に切り替えたとたん、


結果が、圧倒的に良くなった。


ブレント法で行っていた以前の患者さんと、永田法に切り替えた患者さんとの


間で、あまりにも結果が良くなりすぎたので、以前の患者さん達からの


クレームがでるほどだった。


 


そして、今回の国際学会を開催するまでとなった。


そして、学会最終日に、彼の自宅での夕食会が行われた。


 


フィアミンに向かって彼は、日本へ行って永田の所で直接学んだ事を述べた。


フィアミンは、あせって彼に聞いた、「いつ行ったのだ?」と。


 


スチュワート医師にとって見れば、最初から


永田法を学んだほうが良かったとの思いがある。


そんなことが起こっていたとは、私の知るよしもなかった。


 


とにかく、彼の患者にとって、現在は、良い耳が作れるようになってよかった。


 


話は変わって、エジンバラで、スチュワートと言う名前は貴族の名前だそうだ。


彼の自宅は広大で、学会の夕食会も開催できるほど広い。


庭は、街の中なのにもかかわらず、サッカーが出来るほどの広さだった。


 


そういえば、ロンドンで小耳症を最も多く手術している


デイビット・ガルト医師も私の手術法を学びに来た一人だが、


彼の家の庭の中をテームズ川が流れているのだから、


いまだにイギリス人の貴族は、


お金持ちで、階級制度も保ち続けている事が垣間見えた。

スペイン語を習い始めて、早8ヶ月・・・
全く上達しない私ですが、懲りずに習いに行ってます。
本日も行ってまいりました

今日はびっくりしたスペインの常識を2点紹介

 先生:「2時に約束をしたら何時に行きますか?」

 :「えっ、2時です。もしくは少し早く行っちゃうかも・・・」

 先生:「ですよね。。。でも、スペインでは30分後なんです。2時に約束したら、2時30分なんです。」

って・・・えっ、30分後・・・
その常識を知らなかったら、30分待ちぼうけじゃないですかぁ~。
怒って、帰っちゃうよぉ~~

そして、もう1つ。
スペインでは自分の誕生日会は自分で開催するんですって
日本じゃ、友人なり、家族など他人が開催してくれますよね。
それが、自分が準備して、開催するなんて・・・
今年の私の誕生日は、スペイン人の友人Gさんが開催してくれた(6月28日のブログ参照あれ)
きっと、日本のスタイルにしてくれたんですね~~
感謝、感謝・・・¡Gracias!


しかし、全く上達しない私
もうすぐ現在形が完結するらしい。
これから「命令形」「現在完了」などなど・・・進んで行く
ど~~~しよう

自宅のトイレやら、壁やらに受験生のようにスペイン語を書きまくった紙を貼ってみた(笑)
覚えなきゃね~~



人それぞれに、人生でやりたいことが皆違っている。


だから、人がそれぞれ専門性を持ち、助け合って社会を築いて


生きていける。


社会には、色々な専門を持った人が必要なのだ。


だからそれぞれが自分の目標を達成できれば、


皆が満足感を持った平和な世の中となる。


それぞれがやりたいことをやればよいのだ。


 


だから私は無理強いは、決してしない。


やりたくないことを、無理にやれといわれて


いやいやながらやることほど辛い事はない。


そのような時、その人は不幸だからだ。


 


 


 


 


 

今回のエジンバラでの学会で、ひさびさに再開できたのは


韓国のチュールパク医師だ。


 


彼はヨンセイ大学病院の教授をしていたのだが、大学を辞めて、


ソウル市内に、小耳症専門クリニックを開業していた。


当時、韓国では、小耳症に関する国民保険は利かなかったのだが、


開業して2年後位のときに、


韓国で小耳症が保健適応となった。


 


しかし、手術時間の短いタンザー法に準じて


あまりにも安い保険点数となってしまったので、


病院が成り立たなくなり、閉鎖するとのうわさを、


チャングン大学のズンチャン・チェン医師から聞いていた。


 


彼は、永田法を基本とした治療法で、


韓国の小耳症患者さんのほとんどを手術していたので、


韓国の小耳症治療の危機となることを心配していた。


 


が・彼は、再び大学の教授となり、小耳症専門センターを開設してもらい、


彼の行う手術に関してだけは、国が特別に料金を加算する事となった。


 


このように、長時間かかる永田法が、良い結果をもたらすと、


韓国政府が認めたために、安いタンザー法とは別に特別料金が加算されて


韓国の小耳症患者さんは救われるようになった。


 


だから、今回エジンバラで再開したとき、彼は明るい顔をしていた。


逆に,私が開業した事を知って、喜んでくれた。


 


国と人種は違っても、小耳症治療の最先端を走る医師には


苦労が絶えないのだ。

今回の第4回国際耳再建学会は、


イギリス形成外科学会が後援した学会となり


世界中から真に耳つくりを専門とする形成外科医が集まった。


 


耳の再建に携わる各国を代表する専門家ばかりなので、


通常の形成外科学会の内容に比べて


初歩過ぎる質問などはなく、無駄な時間が少なくて、


発表内容も討論も充実したものばかりとなった。


 


すでに、このブログに報告したように、ほとんどの発表が


永田法を使った発表となっていた。


 


これまで4半世紀にわたり、依頼にできるだけ応じて


世界中を教育してまわった成果が実を結んだ。


 


典型的小耳症が出来るようになっても、ローヘアーラインや無耳症、再々建など


複雑な要素が、からむ小耳症は、まだみんなの発表では、少なかった。


 


私はこのような困難な症例についても永田法で、対応できる事を


実症例を多くして、


世界が認識できるような講演をした。


 


これまでは不可能とされていた困難な分野の手術をも可能だと


言う内容のレクチャーとしたので、終了後の拍手は、ひときわ多く、鳴りやまなっかった。


 


今後とも、新たな不可能を可能にする挑戦をすると共に


正しい永田法を世界に広めていく事が、私の仕事の一つだ。


 


 


 


 

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耳垂残存型小耳症術前の状態。


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手術のデザインが完成したところ。


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完成した3次元肋軟骨フレーム。


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皮弁が完成した状態を示す。


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3次元肋軟骨フレームを移植して手術終了後の状態を示す。


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耳の、かんおう部にはガーゼを縫合して軽い圧迫を加えている。


再建した耳を保護するために、耳の周囲にレストン・スポンジを当てている。

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国際耳再建学会エジンバラでの、初日の夕食会。


 


最も右が今回の学会の主催者の


ケン・スチュワート医師「イギリス・エジンバラ・ロイヤルシックチルドレン病院」。


 


右から2番目が私。


 


私に向かって左が、ドイツのラルフ・シーゲルト教授。


 


その左が、ジョルマ・ラウチォ医師・フィンランド・「ヘルシンキ大学」


 


彼らは、私の教え子である。

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イギリス・エジンバラ国際耳再建学会での晩餐会。


学会2日目で、私は、デモンストレーション手術をしていて、


手術終了後、着替える暇もなくそのまま


夜8時を過ぎてから、最後に晩餐会に到着したので、普段着のままである。


 


真ん中が私。


私の向かって左に、頭だけ見えているのが、


ゴールド・ウィルキス教授「カナダ・アルバータ大学」


 


私に向かって左の、黒い服を着ているのが、


ズンチャン・チェン医師「台湾・チャングン大学」


 


その左の、キルトを着ているのが、


ケン・スチュワート医師「今回の学会主催者・エジンバラ・ロイヤルシックチルドレン病院」


 


その左の奥に、顔だけ見えているのが、ヤップ医師「イギリス・バーミンガム大学」


 


私に向かって右のキルトを来て笑っているのが、


デイヴィット・フィッシャー医師「カナダ・トロント・シックチルドレン病院」


 


上に紹介した医師達が、私の教え子達の一部である。


 


他に。教え子でないのは、


最も右にいるのが、メッドポアという人工物をつかって耳を作る


ジョー・ライニッシュ医師「アメリカ・サザンカリフォルニア大学」。


 


私の、すぐ右後ろにいるのが、ブラジルから来たアルナテグイ医師。


 


 

皆さんは、あまり医療崩壊が


国内で進行している事など知らないかもしれません。


しかし恐ろしいスピードで、進行しています。


 


最近も東京北区最大の東十条病院350床が、突然閉鎖しました。


大都市で比較的医師の数が多いところですら、このようなことが始まっています。


 


診療報酬の低下と、大学からの医師の引き上げで、


全科が閉鎖と言う状況となっています。


 


それでは、今後どこまで、医療崩壊が続くのでしょうか?


今後5年間に渡り、公的な病院、すなわち、都立病院、市民病院などにも同様なことが起こり


救急医療病院が数百は閉鎖されるようになります。


 


民間病院も、1000施設なくなります。


大学病院の中にも、医局が崩壊してしまうところが続出します。


大学病院もなくなるところが出てきます。


そうなると、大学が、医師を派遣できなくなり


悪循環となります。


 


今存在する病院の3分の2は消えてなくなるでしょう。


国は、この程度、医療機関を絞ろうとしています。


 


気がつくと皆さんの住んでいる近くには、医療機関は消えているのです。


日本人の寿命は短くなる事、間違いありません。


 


皆が病院にかかれる医療保健システムは完全に崩壊してしまう事が確実です。


すると、どのようになるでしょうか?


 


今後は逆に、アメリカと同様に、医療費は、自費となり、高騰を続け、医療を受けると


家庭の財政が崩壊してしまう事となるはずです。


 


それを防ぐためには、大幅な消費税引き上げが必要です。


国民が、それを理解しない限り、もっと医療崩壊は進行してしまう事でしょう。


 


 


 

世界中で、それぞれの国で、耳を作る代表的な形成外科医がいる。


皆が、この困難な仕事に立ち向かうとき、同じような苦労をしている。


タンザー法や、ブレント法の時代は、耳が完成するために6回か4回もの手術を必要として


挙句の果てに正常な耳が出来なかったので、


皆が苦しんでいた。


 


そして永田法の時代となり、2回で良い耳が完成できるようになった。


しかし、1回の手術時間は、当然長くかかり、技能が要求される手術となった。


 


今回のイギリス・エジンバラでの国際耳再建学会は


世界中が、いかに、永田法を、確実に、


獲得したがっているのかが、はっきりとわかる学会になった。


 


だから、私の教え子達どおしでの討論会となった。


私は、永田法の生みの親なので


学会のときにも、学会が終わって夕食のときにも


皆が私を奪い合って、


できるだけ、長時間、耳の再建の事で、私と話をしたがってくるので、


大変だった。


どこかだけに長時間を割くと、


そこに、えこひいきをしているとみなされる事になりかねない状況だ。


あくまで、私は、耳の再建において、


科学的な事でのみの話をするように心がけなければいけない立場なのだ。


 


私のもとへ、世界中の医師達が近寄ってくるのだが、


その裏には、またまた、各国間や各学会間や各個人間の


科学者としてではなく、政治的な駆け引きが見え隠れする事も多く。


それが見えたときには、私はどの政治にも絡まないように、


注意を払わなければならなかった。


 


世界的に、どの学会や個人も、私をうまく使いたがっている。


あくまでも科学的に意味のある学会のみ、応じるようにしている。


結局それが、私の方法を、正しく世界に広め伝えることにつながるからだ。


 


 


 


 

「あなたはどんな人生を送りたいですか?」


私は即座に答える。


「夢とロマンと希望に満ち溢れ、


情熱を限りなく生涯燃やし続ける人生を送りたい。」


 


 


「どんな仕事に情熱を燃やしますか?」


私は答える。


「あらゆる耳の欠損に対しても、現実の耳と寸分違わない耳を作ること。」


 


私はただ、純粋に単純に、それがやりたいのだ。


そのために生まれて来たのだ。

今日は日曜日、晴天ですがすがしい秋晴れだった。


真夏が長く続いた今年、


北極海の氷が地球温暖化のために融けて


新たな航路ができて、カナダ・ソビエト・北欧の国の利権争いが起きている。


例えば、イギリスから日本への航路は、


大西洋を渡りスエズ運河を経て太平洋から日本へと来ていたが


イギリスから、北極海を経て、ベーリング海へと出たら非常に近いのである。


物流革命なのだ。


 


このようになるには、もっと先の事だと予測されていたのに


はるかに早く、北極の氷が溶け出しているために


驚くべき温暖化が早く進行しているのだ。


 


この新たな短縮航路は地球温暖化の思わぬ副産物である。


 


しかし、温暖化によって、今後起こってくる被害を考えると


周りを海に取り囲まれた島国の日本は、大丈夫だろうかと


心配だ。


シベリアや、グリーンランド、そして大量の氷を貯蓄している南極の氷が解け出して来たら


海面上昇が顕著となり、


海抜0メートル地帯に首都機能が集中しているために


壊滅的な打撃となる可能性すら出てくるのだ。


ぞーっとする話だ。


高層ビルが島のようになっている広い東京湾が見えてくる。

医学が発展するためには


純粋に科学的討論が出来る国際学会の場が欠かせない。


 


常に医学技術の一端を、世界中の医師が、になっている。


これらの、個人の医師の経験をそれぞれ持ち合わせて皆で真剣に討論すると


解決策が浮かんでくるものだ。


 


このような学会は、世界中の医師が参加できれば出来るほど


科学の進歩が多くなされるチャンスが得られる。


 


そのためには、世界中が、平和である事が必要だ。


悲しい事に、今でも、世界のどこかで戦闘状態が続いている。


 


人権が守られていない国がまだまだ世界中にある。


子供が教育すら受けられない国もある。


 


私達日本人の暮らしは世界のそのような国と比較すると、


平均的には、まだ良いほうである。


戦闘状態の国をなくす方法はないものだろうか?


 


世界中を平和に保てる日が、いつか来る事を


私は願っている。


 


 

今日も小耳症外来は混んでいた。


午前中は外来手術の患者さん2名を園長先生が手術。


 


術後の退院患者さんが1名。


経過を見せに来られた患者さん多く、


新患の患者さんが2名、遠隔地から来られて予約をとられ帰る。


 


ようやく、午後の外来の合間に病室の患者さんの包帯交換が出来た。


その後、海外からの患者さんが、


術後経過を見せに来られてようやく仕事が終わった。


 


やれやれ今週の仕事が終了。


考える暇もなく時は過ぎてゆく。


 

今日10月19日は、金曜日。


長時間の小耳症作り直し手術を行い


ようやく、強制的に時差ぼけが取れた。


イギリス・エジンバラでの国際耳再建学会から帰ったのが14日の日曜日。


来週が終わると、


10月28日の日曜日には、


アメリカ・ボルチモアへ出発だ。


アメリカ形成外科学会で、「小耳症手術」のインストラクショナルコースを行いに


行って、小耳症治療の方法をアメリカ人医師に教育しなければならない。


 


私の教育チームは、私を含めて4名となっている。


私と私の教え子3名だ。


カナダのシックチルドレン病院のフィッシャー医師と、


セントジョセフヘルスセンター大学のレイラ・キャスライ女医の


二人が


「永田法の、基礎である肋軟骨採取法や、3次元肋軟骨の作り方、


及び、耳垂残存型小耳症などの、基本的な症例に対する皮膚弁の、作り方など」


1時間の教育をする。


 


また、カナダ・エドモントンのアルバータ大学のゴールド・ウイルキス教授が


「軟骨と同じ性質の人工物のモデルを使い、永田法の3次元フレームの


作り方の訓練の仕方について」30分の教育を行う。


 


最後に、私が「ローヘアーラインを伴う各種の複雑な小耳症、や無耳症。及び


程度に応じた小耳症の再々建手術などへの永田法の応用編」を


1時間半かけて教育する事になっている。


 


180ドル払ってこの3時間のコースを受けると、


アメリカ人形成外科医は形成外科専門医師を継続更新するための点数が


取得できるシステムとなっている。


 


永田法の小耳症手術をアメリカ人に教育するのは、


日本人の私とカナダ人の2大学の3人だ。


この4人とも、イギリス・エジンバラに行っていたメンバーだ。


永田軍団は、忙しい。

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再建耳全欠損の症例。術前の状態。


耳の真ん中に違う色の皮膚が移植されている。


耳の上は全く平らとなり、多くの傷が残されている。


左耳垂残存型小耳症を、大学病院形成外科で手術されたが、


残念ながら、全て再建耳が、なくなってしまった症例。


そこでさらに別の大学病院にかかったが、そこでも、再々建が困難と言う事で、


永田小耳症形成外科クリニックを紹介され今日の手術となった。


すなわち2つの大学病院形成外科でも、治療が出来なかった症例。


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手術のデザインが完了した状態を示す。


耳の中の色の違う皮膚は切除する。


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耳たぶの裏からいい色の皮膚を皮下茎皮膚弁として耳の中に移動した。


頭から、浅側頭動静脈の血管膜を起こした。


この血管膜の後方下部はすでに、破壊されていた。


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3次元肋軟骨フレームを作成した。


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3次元肋軟骨フレームを移植して、耳たぶ、耳珠前面、耳珠後面を、皮弁でカバーした。


耳の上方4分の3は、血管膜でカバーした。


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頭から、薄い皮膚を採取して血管膜の上に移植した。


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陥凹部分へ軽い圧迫をかけて、皮膚、血管膜、3次元禄軟骨を密着させるために


ロール上に巻いたガーゼに軟膏を塗りこんだ物を縫合固定した状態。


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頭の皮膚を採取した部分の上には、シートをかぶせてある。


こうすると、出血もなくなり、痛みも取れる。


傷が治って、髪の毛が生えると、シートは脱落する。


耳の周囲には、


接着剤のついた厚さ2センチメートルのレストンスポンジを


耳の保護目的で当ててある。


この上から軽く全体にガーゼを載せる。


 


永田小耳症形成外科クリニックには、


このように全国の大学病院形成外科で手術されたものの


不幸な結果となってしまった患者さんが最後の砦として、


再々建術を行いに集まってこられる。