永田小耳症形成外科クリニックと愉快な仲間たち

愉快な仲間たちの秘密の会話

先日、健康診断がありました。みんな健康体。少なくとも去年よりは改善。改良。中には5キロも太ったナースもいて、本人はあせっているのだが、実にけっこう。
しかし中に一人だけ、メタボリックな人がいる。だれだ。院長だ。
なんせ毎日のハードな仕事は仕方ないとして、睡眠のコントロールができない。アイスが大好き。タバコぷかぷか。運動不足。これではあの世へまっしぐら。
では今週予約を入れたベビーちゃんの手術は、どうなるの!
あと10年は元気でいないと契約不履行。
師長さんが右手を押さえ私が左手を押さえてタバコを吸うのを阻止し、美味しいアイスは事務さんと薬剤師さんで食べてしまい、
腰に縄をつけてナースさんたちが引きずり回して運動不足を解消し、
○○先生が景気のいい話をして院長を笑わせ免疫力をアップさせ、
かわいい病院の子供たちがにっこり微笑んで、院長の心を和ませる。
そして院長に手術をしてもらいましょう。
先日クリニックでは、健康診断が行われた。
レントゲン、採血、採尿、身長、体重・・・・・

あれっ、えっえっ・・・・・・

体重が・・・・1年前より5㎏UP!

私の体重を見たベルバラ様は
「え~~~、そんなにあるのぉ~~!!」と・・・・・
何より、自分が一番びっくり
このままでは、さすがにマズイ・・・
ダイエットの先輩がこのクリニックには居ることを思い出した
ダイエット食品を購入しているが、最近、病院のロッカーに眠っていると・・・。
格安で分けていただいた。

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始めて、すぐに体重は落ちた
更に、一昨日大変な下痢と嘔吐に襲われ、おかげで体重がDown
-2.7㎏にはなった。
しか~~~し、ダイエット始めてから1週間
もう挫折しそうです・・・・

食べたぁ~~~~い!

休憩室のお菓子が誘惑する・・・・
1つ・・・・・2つ・・・・・
あ~~~、 ダメじゃん
1999年はあまりにも
海外からの招待公演や手術依頼が集中し過ぎてしまったため
11月にまとめて行くことになった。
そうしたほうが別々に行くよりも病院を休む日が少なくてすむからだ。

まず太平洋を南下し、
国際顎顔面外科学会サテライトプログラムで11月5日台湾のチャングン大学にて小耳症手術・そして6日招待公演。夏

その4日後ヨーロッパへ
オランダ・ベルギー小耳症学会・10日オランダ・ロッテルダム大学で公演・11日小耳症手術。招待公演。[この年すでに5月オランダはアムステル大学にも呼ばれて来ていた] 秋

その後湾岸戦争1年後のクエートへ飛び
アラブ形成外科学会・クエート・アラビアン形成外科熱傷センターで13日招待公演・14日小耳症手術。乾燥した夏

さらに太西洋を渡り
カナダ・エドモントンのアルバータ大学およびCOMPRUで17日招待公演。18日・19日小耳症手術。零下30度から40度の冷蔵庫。

南下して
アメリカ・ダラスの国際顎顔面唇裂口蓋裂センターで
21日小耳症手術。22日招待公演。

さらに南のメキシコへ
メキシコ小耳症研究会・メキシコゼネラル病院で24日招待公演
25日小耳症手術。真夏

その後太平洋を渡りようやく帰国した。

時差ボケだらけ・
季節ボケだらけ。
ヘトヘト・・・
もう2度と世界一周はしないぞー。
私が最初に国外で小耳症の教育デモンストレーション手術を行ったのは
1995年10月イタリア・ベローナの国立ベローナ病院だった。
そこの形成外科のトップは乳房再建が専門のジーノ・リゴッチ教授。
小耳症専門はピエール・ルイジ・ジべり医師。
横浜で4月国際形成外科学会があったがそこで私が開催した国際小耳症サテライトプログラムにジべり医師が参加していた。
彼が私に「是非とも公演と手術をイタリアに来てやってくれないだろうか。」と言って来た。
カンツォーネ大好きの私は即[OK]した。
そんな乗りで医師2名・看護士2名・通訳1名のチームで珍道中となった。
ベローナの町へ着いた途端
・あまりにも美しい町並み・まるでオトギノ世界。
ロミオとジュリエットが恋に落ちたのも当然のロマン溢れる町
その素晴らしい歴史の香りに酔いしれた。
今はオペラの舞台ともなっている円形劇場[アリーナ]。
ローマ帝国時代の橋を渡ると閑静な豪家が続く。
その先に国立ベローナ病院があった。
英語ではHospitalだがOsupitaleと書いてある。
イタリア人はHの発音ができないらしい。
デモ手術の後・公演。
その後ミラノ大学のリカルド・マゾーラ教授が声を掛けてきた。
「来年のヨーロッパ形成外科学会・オーストリアで公演してくれ。」
それ以降もこのパターンで延々と招待公演依頼が続くようになった。
帰国時ミラノ空港で買ったイタリア語の新聞に
日本人の顔写真入り記事が2個・目に飛び込んできた。
1個目は私。
もう1個目はあのオウム真理教の松本チズオ氏。
なんという巡り合わせ・・・・。
1995年横浜で国際形成外科学会が行われた。
会長は当時の東大の波利井清紀教授。
学会の中で私は国際小耳症サテライトシンポジュウムを開催した。
このシンポジウムは出席者も多く熱気に包まれた会となった。
この会が引き金となり
1996年第2回国際小耳症学会がドイツ・リューベックで
1998年第3回国際小耳症学会がカナダ・レイクルイーズで
そして間を置いて2007年第4回がイギリス・スコットランドで
開催予定となっている。
ドイツ・カナダとも私はレクチャーやデモンストレーション手術で大忙しだった。
その2つの学会で私はJahrsdoerfer[ジャスドーファー]教授「バージニア大学・アメリカ」と大きな出会いをした。
小耳症の患者さんに穴をあけて補聴器無しで
聞こえる手術の開発者がジャスドーファーその人だった。
耳鼻科医の世界ではスーパースターだ。
彼によると当時診察した2000人の小耳症患者中で
手術適応患者が1000人
手術した1000人中補聴器無しで聞こえるようになったのは980人以上だった。
すなわち98パーセント以上と驚異的成功率をほこっていた。
私のレクチャーの後、私に質問や話のある医師達が、ずらりとフロアーで並んで順番待ちとなっていた。
その中になんとジャスドーファー教授も並んでいたのだ。
順番がきた彼は「あなたの作った耳の患者に・自分に穴をあけさせてくれ」。
と頼んできたではないか。
こちらこそ国際チームを築きたかったのにだ。
私の1回目の耳再建術を受けた患者さんは
希望されればアメリカのジャスドーファ教授に紹介して
聞こえの手術を受けて来る。
その後2回目の耳立て術をおこなっている。
受けた人全てが補聴器無しで会話出来るようになって来るのには
私も嬉しい驚きを感じている。
これも苦労してシンポジウムを開いた事がキッカケなのだ。
あの時苦労して良かった。
1993年アメリカ形成外科学会誌に私の小耳症の論文が記載されてから
まず飛び込んで来たのは
フランス形成外科学会を代表したフランソワーズ・フィアミン医師「女医」だった。
フィアミン医師はアメリカのブレント医師からブレント法を学んだ人で私より10歳年上だった。
1980年代にアメリカでは6回の手術を要するタンザー法から4回の手術のブレント法が主流となっていた。
私の手術を見学し私の論文を読んだフィアミン医師は
激しく興奮し・直ちに私に
フランス形成外科学会へ招待公演の依頼をしてきた。

パリ凱旋門そばのビゼット病院がフィアミン医師の職場だった。
フランス学会終了後
何回かその病院で小耳症手術の指導した後
モンマルトルの歌声喫茶に連れて行かれた。
歌えと言われた私は
学生時代にアルバイトで歌っていたカンツォーネを思い出し
ギターをひきながら[ケサラ」[故郷」をイタリア語で歌ったのだ。
なんと・そこにいた客全員が
いっしょに声を合わせて歌っているではないか。
パリなのにイタリア語で・・・・・。
拍手の嵐の後・その店のプロ歌手がお返しに「サクラ・サクラ」を
日本語で歌ってくれた。感激。

帰り道の11月のパリは寒かった。
セーヌ川のほとりを歩いていた時
足元に大きなヤツデの葉が『がさっ』と落ちた。
これがシャンソンで有名な「枯葉」なんだ。
もっとひらひらと静かに落ちるイメージだったのに。

その後フィアミン医師は数回来日し私の手術法を学び
ヨーロッパの学会で[永田法]を発表し続け
ヨーロッパ中の小耳症患者を集めるようになった。
1992年・1993年・アメリカ形成外科学会誌に
私の小耳症の5論文が巻頭に載った。
解剖学的に不完全な耳しか再建出来ないタンザー[Tanzer]法から、
細部構造に至るまで完全な耳が再建出来る方法へ
手術の開発をいかに行ったのかと言う論文だった。
その後世界の反響はすざましく
何年経ってもリプリントの要望が絶えなかった。
それに答える郵送代金だけでも膨大となった。
その数多くの手紙の中に
Tanzer本人から2通も手紙が届いた。
要約すると
1通目はcongratulation[おめでとう」との内容。
2通目は76歳のTanzer本人が結婚するという内容だった。しかも新婚旅行先を日本にするかもしれないという事だった。

1959年肋軟骨移植による小耳症に対する耳再建術が
Tanzerにより報告されて以来世界中で用いられテキストとなっていた。
もちろん日本でもTanzer法だった。
それゆえに当時の私にとってTanzer氏は天上人だったのだ。

1度として会ったこともなかった人なのにだ。
夢か幻かそのTanzer氏から2通もの手紙。
しかも、「Tanzer氏本人はリタイヤーしたから
今後の世界の小耳症の治療および発展を担ってくれ。」とのこと。
43歳当時の私にとって強烈な手紙だった。
科学者としての愛情がいっぱいにこもった手紙だった。
それからの私は情熱の科学者に大きく変わった。
リアルな細部描写を展開しながら全体に漂う幻想世界
サルバドール・ダリに没頭し絵を描き続け
広大なスケール、あくまでも深く澄んだ
ルチアーノ・パバロッチのカンツォーネに感動し
涙し発声練習に明け暮れた小中学校
陸上競技ハードルの記録に挑戦していた中学校
いつも没頭し愛し
夢中になってしまうほど全エネルギーが爆発していた青春
受験地獄時代を経て入学した医学部で最初から目指した形成外科医
中でも形態の複雑な耳の再建術に没頭し
様々な開発を重ね続けているうち
気がつけば世界中に弟子ができてきた。
宗教人種が違っても

小耳症の患者さんは良い耳ができるととても喜んでもらえ、

それが嬉しくてまだ開発を続けている。
情熱あふれる若い形成外科医が世界中から目を輝かせ学びにやってくる。
その純粋な情熱が私は好きだ。
なぜなら感動し愛し没頭するエネルギー
それが情熱だから。
情熱ある人は好きだし魅力的だ。

情熱ある限り青春だ。

そんな事を思うこの頃なのです
とうとう、来てしまいましたぁ
本場のフラメンコを見たい!とフラメンコ教室の友人と、フラメンコディナーショーへ

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いよいよ、ショーの始まり
迫力のあるスペイン女性3人と男性1人のバイレ(踊り)
サパテアード(足を打ち鳴らすこと)の凄さといったら鳥肌がたつ
カンテ(唄い手)、ギター、全てサイコ-
隣の友人は「BONITA(ボニ-タ・可愛い、いいぞ!の意)!、BONITA!」
とハレオ(掛け声)をかけている。
2人して半立ち状態で盛り上がり、パルマ(手を叩くこと)をうつ 
興奮しっぱなし
いつになったら、こんなに踊れるようになるのだろう…
ショーが終わり、外に出ると、舞踏団の方々がついたての向こう居るではないですかぁ…
2人してスペイン語は話せない
私は英語すら話せない……    すると、友人が「×△*☆・・・・?」英語で何やら話し掛けている!「一緒に写真とってくれますか?」と素晴らしい発音で
そして、カッコィ~~「エル ラルゴ」(ギタリスト)が来てくれた


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何かの間違えか、夢か・・・・
 こういうときにスペイン語で「ありがとう」くらい言えるようにしておけばよかった。(ちなみに後で調べたら、スペイン語でありがとうは「Gracias(グラシアス)」というらしい)

ホントにスペインだと思ったでしょ・・・?
ここは、東京の新宿です
フラメンコでは有名な「エル フラメンコ」です
毎日ディナーショーをやっているので興味のある方は行ってみて下さい!
もちろん、料理もサイコ- おいしかったぁ
ん~~、サイコー
11月△日 自宅から約2時間で北鎌倉へ到着
何処に行くかは、全く計画していなかったが、鎌倉といったら「鶴岡八幡宮」「大仏」だろうか…
北鎌倉から「鶴岡八幡宮」に向かう間、「円応寺」に寄った。
これはまた面白い!  本堂には鎌倉時代の仏師閻魔大王を中心に、死後の裁判を司るといわれている十王像が並んでいる。
三途の川を渡ると出会うという……
ホントかなぁ… 死んだ後に会うのかと思ったら、怖い!!
死後の世界を想像していたら、あっという間に時間が過ぎてしまった…
そして、「鶴岡八幡宮」に行き、鎌倉駅から江ノ電に乗って「大仏」を見に行った。そして、夕飯に「ビーフシチュー」を食べようと再度鎌倉に戻った。鎌倉は「ビーフシチュー」が有名???なのか、あちこちで見かけたが、辺りが暗くなっていざとなると店が見つからない
途方に暮れていると…お兄さんが「困ったことはないですか?」と声をかけてくれた。

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人力車のお兄さん!(写真を載せることを快く承諾してくれたのでさっそく使わせてもらいました!人力車に男前と書かれているのもおもしろい)
「おいしいビーフシチューを食べに行きたい」というと、「一箇所観光場所に行って、おいしいビーフシチューの店で降ろしましょう」と、乗せてもらうことに
寄った所は「寿福寺」
ここは、北条政子さんが源頼朝の死後、夫の菩提を弔うために創建したといわれているが、頼朝さんと政子さんは何故、こんなに愛しあっていたかというと、二人は、駆け落ちであった!!
という、素敵なお話をして下さった。
「お二人は素敵な恋をしてますか?」と聞かれ、友人と2人して苦笑い…

そして、おいしいビーフシチューのお店にやっと到着

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お肉が柔らかくておいしかったぁ~~  お兄さん、ありがとう


今日でわがクリニックは開業一年目。めでたい日です。本当にこの一年は色々あってな。まるで小さなおわんに乗った一寸法師のように、大きな河を行ったり来たり。途中春頃は、おわんがひっくり返るだろうと思われて、暗い気持ちになったものです。でも、一年持ったのよ!
結局私は院長夫人にはなれなかったけれど、ナースだったり 掃除のおばさんだったりしながらまだ頑張っていられます。
院長も5月からずっとクリニックに泊まりっぱなし。以前の生活とは似ても似つかない毎日です。院長も変わらざるをえなかったのですね。
ご飯も自分で炊いて、○○先生と仲良く納豆を分けながら食べています。
そうそう、院長が一番変わったと言えば、、なんと自分でブログをやる、と言い出したこと。若い人たちから厳しい指導を受けながら、頑張ってます。
多分みんな誤解してると思うけど、院長は究極のアナログ人間。パソコンもインターネットもチンプンカンプンだったので、それが一番の変化でしょうね。
なんせパソコンが常識になっている時に、真顔で「お前は知らんやろうが、パソコンにはフロッピーと言うものがあって…」と言われたときは、驚くと言うより怖くなりました。何十万もするデジカメも投げたままだし、計算するときは今でも「紙と鉛筆を だせ」と言う。
ビデオが出始めたときは「ビデオはCMがなかけん、トイレに行く暇がない」と言った人でして・・・。
そんな院長でも、一本指でもブログはできる。まさに環境と言うものは偉大です。
適応した院長も、偉かった。一年おつかれさまでした。次の一年も頑張ろうね。












昨年の2005年11月15日に開院した永田小耳症形成外科クリニックは、


今日で一周年を迎えることができました73189


入院中の患者様達とささやかなお祝いです269


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すべての皆様に感謝いたします228176本当にありがとうございました197


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永田小耳症形成外科クリニックの年間小耳症手術件数


2005年12月から2006年 11月は133件でした。 


 患者様 出身地 としては  東京 28件  をはじめ    以下のような結果です。                               埼玉 28件                           神奈川10件                           千葉  9件                           兵庫  8件                           愛知  6件                           大阪  5件                           広島  3件                           栃木  3件                           三重  3件                           茨城  3件                           山口  3件                           青森  2件                           山梨  2件                           長野  2件                           福岡  3件                           和歌山 2件                           そのほか1件の県は北海道・山形・新潟・石川・奈良・京都・岡山・岐阜・高知・佐賀・熊本・鹿児島・となっています。 海外からは            アメリカ合衆国 1件 でした。                                

先日奈良に母と行ったが、旅の楽しみは移動中やお土産を買うのも楽しみの一つ
東京から京都までは寝台車で行くことに…
東京駅のホームで一台の寝台車が止まっていた。私達が乗るものではなかったが、寝台車に乗った事のない私は、その寝台車を見て「うわぁ~!! すごい綺麗な寝台車だね」と話していた。
こんなにいい寝台車に乗れると確信していた私と母……
いよいよ私達の乗る寝台車がホームに入ってきた
あれっ・・・・・えっ、ええっ・・・・!!!!
何だか貨物列車のような寝台車が到着
母と2人でガックリ
そして、母の隣には20歳過ぎ位の若いお兄ちゃんがいた。
なんとなく怖い気がして、さっさと寝てしまおうとすぐにカーテンを引き寝に入った
朝起きると、母がそのお兄ちゃんにつかまっている
いやいや、母の質問攻めにあっている。お兄ちゃんが被害者だ  母の質問に全て答えてくれて、結構いいお兄ちゃんだった。
母が「東京のお土産は何買ったの?」と問うと、

東京のお土産は「東京ばな奈」らしい。

「東京ばな奈」の名前は知っているが、食べた事がない。
東京駅に着いて、母が立ち止まり「東京ばな奈」買っていく!と奈良に行ったのに、東京のお土産を家に買って行った。
そんな母を苦笑い…
しかし、それからというもの「東京ばな奈」が気になって仕方ない。
そして昨日、駅で「東京ばな奈」を発見し、しばらく考えたあげく買ってしまった…

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今日、クリニックのみんなと食べた。
味はまあまあ美味しい!
私のモヤモヤが消えたっ
今、奈良の国立博物館で開催されている「正倉院展」に行って来た。
正倉院という倉庫に保管された聖武天皇の宝物が展示されているという。
私はあまり興味ないが、母はどうしても行きたいと…
仕方ないので母と2人で行くことにした

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日曜日だったこともあり、凄い人!!その為か、20分前に開館(ラッキー
写真撮影が禁止だったので、ここに載せられないのが残念
 「天皇ってすごいね~!」「1200年以上前なのに、お洒落!」と、母は関心しっぱなし。   むか~しのはずなのに、文書、刺繍の飾りもの、染物…色鮮やかに存在している。保管状態が良い。それ程関心のない私でも、凄い!と思えた。

そして、東大寺で大仏様を見て、「教科書に載ってた大仏!」と感激


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興福寺では「国宝特別公開」が行われており、これも観覧。

奈良に着いて7時間後には東京行きの新幹線に飛び乗った なんて慌ただしい一日だったこと…
私は、せっかくだから京都にも行って、舞妓さんの格好をしてみたいと思っていた。そんな時間があるわけがない
 母は、新幹線乗り場で「ここ、京都だよ。京都に来たじゃん!」って…
 違うだろ~~
 


5年以上前から健診のたびに fatty liver と カルテに~


まずは…有酸素運動を~。 (もちろんサプリも~)


週1回はエアロビクス   ワン ツー スリー エンド フォー


鏡張りのスタジオで… 全身チェック & 笑顔も…


鏡にうつった自分 と インストラクターを見くらべて… 


う~ん まあ…いいか


もっと ここが こうで~  もっと…もっと…ここら辺が~ こんなならイイのにー


まあ あきらめも肝心 だし…


鏡のおば様達と比べ  OK おーけー 今日は結構いいかんじー と ジコ満!!


近いうちに、インストラクターと一緒の写真を、掲載させる…?


ただし、家族の許可が で れ ば … 


 


 


 

以前入院していた患者様で、ちゃ~んとネットで泡をた~くさんたてて洗顔していた高校生の女の子がいた。
泡で洗顔するのはお肌にはいいこと
高校生からちゃ~んとお手入れしていて関心・関心。
私の高校時代なんて、お肌のお手入れなんて考えもしなかった…
今は私もネットを使って泡で洗顔をしているが、高校生の時から泡で洗顔をしていたら、きっと今とは違い、お肌がキレイでいられたかなぁ…
泡たて用品は色々あるが、私が使っているのはこれ
    
     ↓↓

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ネットの方はお風呂場用、ボールは洗面所用
泡がすぐにできて気持ちいい。優れもの!!
お肌にはいいはず…

でも、でも、お肌は確実に衰えている…
こないだいつもの化粧品屋さんで「そろそろ年齢的にもお肌が衰えてきたから、こちらの化粧水に変えた方がいいかも」と言われた

丸○先生にも、「毛穴が開いてる」とも言われたし…

これからパックでもし~よぉっと…